よりパセティックに、より静謐に…
1月26日のモーツァルト―その全曲を聴く(3)
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ブログ照る日曇る日 |
一人は万人のために、万人は一人のために
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Comments (0)以下投書全文。
「自らが身を切らなければ」と、いかにも神妙なふりをする政治家がいるが、その中味は議員削減だという。そんなことを言う議員は自分がなまけ者であることを証明しているようなものだ。
もっと子どもに寄り添いたいと願っている教師が、教員削減を求めるだろうか。もっと医療を充実させたいと苦心をしている医師が医師不足をなげかずにいるだろうか。
どんな職業人でも、熱心な人なら同業者が多ければ多いほど、その仕事が充実するものだと考えるのが普通ではないか。
つまり議員を減らそうという議員は、豊かな政治をする気がない人たちなのだろう。だからわたしは、その人たちに「身を切るなど中途半端なことを言わず、身を引きなさい」と言いたい。
議員を減らしたいのなら、自分が議席を返上し、以後立候補しなければよい。議員定数削減は全く必要がない。その人たちがいなくなった分、しっかり仕事をする議員が埋めてくれればよい。ちなみに共産党の議員を見る限り、身を切らなければならない議員なんて一人も見当たらない。
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Comments (0)浦島太郎の竜宮城でのお祭り騒ぎは、諸外国の要求と財政難に右往左往する無能政治家の姿を表したものであり、TPP(環太平洋連携協定)対策と累積赤字などに翻弄(ほんろう)される現政権に重なる。巨大な大衆ヒーローが大名行列を見下すさまは、武士が支配する身分制度への揶揄(やゆ)でもある。
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店内には,今まで聴いたことのない曲が流れています。柔らかい管楽器の音です。/天上の音楽のようです。スピーカー横にLPジャケットがあります。/ モーツァルトのフリーメーソンのための音楽でした。/穏やかでまったく騒ぐことのない音楽でした。大編成のシンフォニーばかり聴いていた私にとってとても新鮮な驚きでした。
「いつでも笑顔で神戸から(^_^) シニア世代のためのblog」より
*曲情報:Mozart: Maurerische TrauerMusik(フリーメーソンのための葬送音楽)K477 – Harnoncourt/WPh(2004Live)(アーノンクール指揮ウィーン・フィル)
【注】フリーメーソンは、Wikipedia 参照のこと
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Comments (0)少し過ぎてしまったが、1月10日(1947年)は、彼の命日である。当方は、彼と人生を重なることはなかったのだが…
また、しょうこりものーでてきよりました。おださく、よろしおまんな。おおさかじんのええとこ、えげつないとこ、せんせはみんなかいたはります。わては、いっとーええのは、「わがまち」とおもてま。ちらっとやけど、わてのすんでるとこ、でてきますのや。ちょうこはんとりゅうきちはんもとうじょうでんがな。もりしげはんのりゅうきちもええけど、しんこくげきで、ベンゲットのたあやんをやらはったのが、しまだしょうごはん。これまたたまらんだすな。しぶーて、ちょっといやらしゅーて、そんでも、ひんがありまんがな。まつけんはんがなんぼのもんじゃい。さいごよつばしのプラネなんとかというとこで、みなみのほうでしかみえへんおほしさんみてなくなはりまんねん、ほんま、なけてくるがな。そのでんきかがくかんものーなってしもうて、おおさかのまちもさびしなってきたわ。おださくせんせ、たまにはあそびにきて、また、おもろいはなしきかしておくなはれ。
新国劇でおなじみ、「ベンゲットのたーやん」の話である。織田作之助(写真)の「わが町」(青空文庫)を元にしている。少し個人的な注釈を少し。一つには、南河内郡狭山の地名が出てくることである。狭山近辺には、オダサクの足跡があることは、「織田作の旧家を訪ねて」で書いた。もひとつ、今はなくなってしまったが、たーやんが波乱の生涯を閉じた四ツ橋電気館のプラネタリウムに、子供の時に連れてもらった事が、思い出されれる。現在は、電気館はなく、大阪市立科学館のプラネタリウムになってしまった。(大阪市立科学館プレスリリース)
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もうすぐ、1月17日がやってきます。当方はあの時、何をしたのか、いや何が出来なかったのか?それは、17年経過した今となっては、遠い記憶の深層に沈んでいます。その上、3.11を経験し、ともすれば、何か「無力感」を再確認するだけですが、「記録」が単なる「回想」に終わらせてはならないとつくづく思います。当時の、ご自身を含めた現場での献身的な活動をホームページに淡々と綴られた石川先生の深い思いに敬意を表します。1月25日頃まで、「懐かしい」(といってはいけないのだろうな)画面が閲覧できるそうです。
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Comments (0)印刷機械は『ことば』を劃一(かくいつ)化し、知識の発達のために役立て、やがては『大きなコミニケーション』を生み出していった。だが、私たちのどんなデリケートな感情をあらわすことばも、喚(わめ)き声も、ささやき声も、同じ大きさの鉛の鋳型(いがた)にはめこむという活字のおそろしさに気づく者は誰もいなかった。
『過ぎ去った日』について語るか『たぶん、やってくると思われる日』について耳をすますだけで、現在進行中のものではなかったから…国家として考えるより土地として考える事のほうがはるかに新鮮だし、それに人間的な気がする
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Comments (0)あまた酒瓶転がりをれば連れ出すという国に親の一歩を踏めり
私ども地域医療に携わる小児科医は、子どもたちの生まれ育つ「場」を全体的にとらえなおすことができます。その立場を活かして、子どもたちに全人的、全体的かかわりができる、これが地域で暮らす小児科医の醍醐味です。
高齢化社会であればあるほど、子ども達や小児科医の存在感が増します。地域に住む老人たちは、お孫さんと接することで、どんな薬よりも元気づけられています。その大切な孫を助ける小児科医はやはり老人たちに歓迎されます。
かかわらせていただいた子どもたちがどんな親になり、どんな子どもを育ててくれるのでしょう。新生児と瞳を合わせるたびに素晴らしい可能性を感じます。それをどう引き出せるのか、エコロジカルな興味が尽きることはありません。「1人の子どもが育つには、村人全員の力が必要だ。」ということわざがあります。佐渡に住む方々のお力をお借りして、子どもたちが大きく羽ばたくお手伝いをさせていただければ幸いです。
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Comments (0)12月28日付 文化欄 「俳壇」より
地(ち)に在(あ)れば
数多(あまた)の
われの
一人(ひとり)の震(ふる)へ 仲里夏彦
福島新米その一粒と見つめ合う 石川貞夫
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