憲法九条を守ろう!

2010年 7月 6日 火曜日

オオヤマレンゲ探索行

カテゴリー: 今日の赤旗,季節の花を愛でる,山行記録 —所長 @ 12:00 am
梅雨の合間、オオヤマレンゲが見たくなり、弥山・八経ヶ岳へ出かけた。この方面へは、前回、2008年5月以来の山行である。
  • 7月1日(木)朝 8時20分自宅出発
  • 10時25分、奈良県吉野郡天川村行者還岳隧道に車を置く
  • 12時 0分、登り口を間違えたので、避難小屋を経てようやく隧道への降り口へ到着、昼食
  • ゆるい勾配の尾根道を経て、弥山へのややきつい道を登る
  • 13時55分、弥山到着、途中で足が少し痛くなったがまあまあのコースタイム。
  • 14時15分、八経ヶ岳への鞍部に、オオヤマレンゲ群生地あり、鹿の害から守るためにフェンスで囲ってある。その入り口、マイズルソウの群生を横目にして行くと、オオヤマレンゲの蕾が見られた。花の季節には少し早かったと後悔したが、少ないながら開花しているオオヤマレンゲにも出会い、ここまで来た甲斐があったと安堵する。モクレン科に属するオオヤマレンゲは、山の風景に溶け込んで、すいぶん清楚に見える。聞けば、天川村の「村の花」だそうだ。
  • 14時35分、八経ヶ岳到着、だんだんガスもかかり、視界は悪い。記念撮影を済ませただちに下山。
  • 17時40分、車のある行者還隧道入り口への直前に雨に会い、ずぶ濡れになりながら到着。
  • 19時50分、自宅着。
【補足】2010年7月18日付け「赤旗」山行ハイキング欄に要旨が掲載されました。
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2010年 5月 31日 月曜日

ゲバラの Tシャツで金剛山へ

カテゴリー: 今日の赤旗,休みの日に,季節の花を愛でる —所長 @ 7:06 pm
Twitter(12) にも「囀り」ましたが、日曜日に、金剛山を登ってきました。当日は晴れて、すこし気温も高くなったので、キューバみやげに娘からもらった、チェ・ゲバラの T シャツを身につけてのお出かけです。
登山口にある駐車場は、休日のせいかかなりの車でした。そこから黒栂谷分岐からカトラ谷へ。しばらく登った所で、道の横からおりでくる女性陣に「クリンソウが咲いている」と教えていただきました。踏み跡の付いている谷をすこし登ると、やや開けた斜面に一面にはえているクリンソウの群落がありました。女性陣に出会わなかったら、見過ごす所でした。ラッキー!花の色は少し濃い目のピンク(というより薄紫でしょうか)、薄いピンク、そしてほとんど白色と様々でした。
また、もとの登山道に引き返し、急な勾配を登って山頂へ。昼食後は、冬には滝が凍ることのあるツツジオ谷を降りてきました。登山口にある民家の軒先には、射干《シャガ》の花が咲いていました。シャガは、学名は、Iris japonica といってアイリス(あやめ)の仲間なんですね。(韓流ドラマ・「アイリス」にヒロインがあやめを育てる場面がでてきましたね。ちょっと脱線!)まことに、花愛づる山行でした。
 
筍《たけのこ》に括《くく》り添えたりしやがの花 几菫

参考:

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2010年 5月 26日 水曜日

父を乗せた車

カテゴリー: あの頃の事 —所長 @ 12:00 am
ハナミズキ

ハナミズキ(wikipedia より)

もうその花の季節はすぎてしまったが、今頃になると、父を乗せて病院までの丘沿いの道の途中に街路樹として植えられたハナミズキの花を思い出す。車は、父がリハビリに通うために、手に入れたものだった。脳梗塞を患う父の車への乗り降ろしは、リハビリ中付き添っていた母だけでは心もとなく、行きだけは車を利用した。ハナミズキのそばを通ると、後部座席では母が父に春になると花をつけることをつぶやき、父も不自由な言葉で返事をしていた。しかし花の季節が 3回くらい巡ってきただろうか、再発作で父は逝ってしまった。車の運転は苦手なほうで、後ろから別の車が来たので、慌てて声を荒げながら不自由な父の足を車の中に押し込んだような具合になった。その時が父を乗せての最後の運転となってしまった。

父を乗せた車

昨年から、その車は旧T診療所から、N診療所まで、患者さまを乗せての「定期便」として使うようになっている。車のそばを通るたび、寡黙にリハビリに取り組んだ父の姿、リハビリの成果で、最晩年には遠く北海道の地で、元勤めていた会社の同僚・部下に再会した時の父の笑顔などがふっと浮かんでくる。

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2010年 5月 18日 火曜日

懐かしき生家

カテゴリー: 街角スナップ,身の回りの出来事 —所長 @ 12:00 am

わが生家跡

身内の結婚式もあり、4月と5月は京都へでかける機会が多かった。そんなある日、ふと気が向いて五条通り近辺の生家近辺まで足を伸ばした。数年前までは、地上げが横行していたと聞いていたので、もう取り壊されたかもしれない、そんな思いで、子どもの頃遊びなれたドンツキの路地を入ってゆくと、昔ながらの京都特有の町家が見えてきた。さすがに60年前と同じ姿とはゆかないが、格子戸などを直したくらいで、昔とあまり変わらない長屋の一軒があった。向かって右となりが、洋服屋で、大学卒業のさいにスーツを一着作っていただいたのを覚えている。表札は同じなので、今も営業しているのだろうか?確かめるすべもない。その頃生家は、狭いながらも祖父母、父母、叔母などが住んでおり、2階への階段の所で寝る前には必ず叔母に「また、明日遊ぼな」と言っていたそうだ。しかもその言葉がうまく言えず、「あぼぼな」となり、何度も叔母に言い直しを命じられたことを母から聞いた。祖母が越してからは、それぞれに京都を去り、今は、もちろん、まったく縁のない方の表札である。路地の角には、たしかポンプ式の井戸があったように記憶しているが、今はコンクリートで固められていた。騎馬のようにして乗りかかって遊んだ石柱のみが当時のままだ。その石柱を撫でるようにして、生家がある路地をあとにした。

松原商店街

帰りは、京都を離れた後に祖母宅に遊びに行った際に買い物に連れていかれた松原商店街にも立ち寄った。当時は賑やかだった町並みもシャッターを降ろした店も多く少し寂しい気もする。商店街の中ほどに小さな神社があったが、義経と弁慶が初めて邂逅した場所がここなのだろうか?
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2009年 9月 16日 水曜日

三十数年かかって実現できること

 数ヶ月前に、自らの受診と検査のために、M総合病院を訪れた。予約時間まで、間があったので、新築なった小児科病棟を案内してもらった。明るく広いプレイルーム、ゆとりのある病室など印象に残った。三十数年前、M総合病院在任中には夢であり、昨今の病院小児科の閉鎖など暗い話題の多い中での小児科独立病棟の嬉しい誕生である。
 また、この十月から、勤務先で、市の公的な補助を受け、病児保育を開始することになった。区内ではじめて「病中児」の保育であり、医療機関併設型の病児保育なので、各方面からの期待も高いと聞いている。今はその準備のため、スタッフ会議など忙しい日々を過ごしている。先日も、KクリニックやJ病院の病児保育室に見学の件でお世話になった。三十数年まえに、全国保育合研で、経験もないのに生意気にも、病児保育分科会の世話人を引き受けたことがあったが、それ以来の責任をやっと果たし、「老後」の楽しみが一つ増えた気がしている。
 この間、その目的のために自らが努力を重ねてきたとは言い難いが、独立病棟といい、病児保育といい、決して短くはない三十数年の歳月は、先輩、同輩、後輩諸兄の熱意と努力の実現に十分な時間であったのだろう。
 病児保育室「まつぼっくり」のブログを作ったので、ご利用いたきたい。

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2009年 8月 8日 土曜日

荒島岳登頂

カテゴリー: 休みの日に,身の回りの出来事 —所長 @ 11:09 am
ガスの中の荒島岳頂上

  ガスの中の荒島岳頂上

2009年7月26日付け「赤旗」日刊紙に「山行記」が掲載されました。ダイジェスト版だったので、ここでは全文を掲載します。

この数年、山に縁のある近しい人を見送ることが重なりました。梅雨時でしたが、百名山の一つ、荒島岳に登ってきました。今年の冬、この山で遭難した、学生時代の友人、H君の追悼が目的です。日本共産党専従の任にあり、この山行記欄にも時折寄稿して、その消息を懐かしく読んでいました。
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2009年 5月 31日 日曜日

亡くなった母の文章

カテゴリー: あの人のこんな言葉...,あの頃の事 —所長 @ 11:22 pm

亡くなった母は映画好きで、小さい頃、よく映画館に連れられていった。堀辰雄の「菜穂子」か「風立ちぬ」が映画化され、恋人どうしが白樺の林の中で、再開する場面があったそうだ。幼心にも感動したのか思わず「よかったなあ」と声を出し、映画館の周囲の人々の微笑を誘ったと事が思い出話の一つだった。先日、家を整理していたら、母親の文章が出てきた。大阪保険医協会雑誌 1995年 8月号に掲載された、そんな母親の文章を紹介する。 (続きを読む…)

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2009年 2月 9日 月曜日

ある集会での挨拶

カテゴリー: 身の回りの出来事 —所長 @ 10:53 pm
九条の会行進

九条の会行進

早いもので、医者になってから30年が過ぎました。この地域で皆さんにお世話になってからも、10数年になります。医者になって良かったこと、その一つに、女性にモテルことがあります。ちょっと注釈も必要ですので、付け加えますと、若干年齢層が限定され、下はだいたい5才以下の超若い年齢、上は、年齢を重ねた「渋み」と言いますか、何とも魅力を感じさせる「後期高齢者」の女性の方々です。こうして毎日楽しくし仕事をしていますが、当方の仲良く付き合っている年齢の方が、共に、医療の面で大変な目にあっているのです。

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2008年 11月 26日 水曜日

H君を偲ぶ

カテゴリー: あの頃の事 —所長 @ 11:54 am

自由の血

2日前の記事の追加です。

会には、少し遅れて到着したので、「自己紹介」的な挨拶では充分に披露できなかったことです。30 数年前の大学は、学内では「70年安保」の「政治闘争」が盛んな毎日でした。クラブ活動も、そんな激動に振り回されていた感もあります。いつのデモかは失念しましたが、公演も差し迫っていたある日に、学内の学生集会と芝居の稽古の日程と重なってしまいました。小生も含めて、過半数の仲間は、その集会に参加すべく、クラブの部会にも、練習を休もうと提起したんですが、その会議の中で、日頃は軽妙なギャグで皆を愉しませていた H君が、その時だけは実に難しい顔をして「練習すべきだ」と頑に主張し続けたのです。結局全員の合意が得られず、その日の使い方は、各人の自由意志との結論になりました。当日になり、デモが終わって、戻ってみると、部室の入り口では、他には誰もいない室内に一人で、いつも稽古の最初に行っていた「ア、エ、イ、ウ、エ、オ、ア、オ、アイウエオ」との発声練習を繰り返している H君の声が聞こえてきました。なんだか、彼に悪くて、その日はとうとう部室の扉を開ける事ができませんでした。

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2008年 11月 24日 月曜日

三十数年ぶりの再会

カテゴリー: あの頃の事,休みの日に —所長 @ 11:46 am

木下順二「白い夜の宴」 先日、三十数年ぶりに、大学時代のクラブの面々と再会した。すこし後輩であった、H君を偲ぶ機会に、彼と面識のあった複数の学年の、OB & OG が参集した会であった。大学のあった隣県で開催されたのだが、当日は、通い慣れたはずの北陸路の特急が、最寄りの駅へ近づくにつれ、なんだかタイムマシンに変わったように、三十年余の時間を遡ってゆくような錯覚に陥った。あの頃と変わらぬクラブ諸兄との懇談を懐かしく思うと同時に、喜びと悲しみのあったろう、その歳月は決して短いだけではなかったことも感じ、複雑な思いもした。翌日、山中の古刹で H君の墓参をして、またの再会を約して帰路についた。帰りの列車の中で、戦争責任を問うた芝居(写真)の台詞の一節をなぜか思い出し、小声で口ずさんだ。

—お父さんの過去を知らなかったら、僕は安保闘争を経験した普通の青年として普通に悩んだあげく普通の生活を送っていたでしょう。‥お父さんの過去を知ると言う事はそういうことなんですよ。

—彼(たしか指揮者フルトベングラーだったと思う)は、ドイツ人の未来を信じて、その魂に向かって指揮棒を振り続けたんだ。

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