カテゴリー別アーカイブ: 書棚を探すと…

ファシズムの誕生―ムッソリーニのローマ進軍

ファシズムの誕生―ムッソリーニのローマ進軍

最近、ドイツにおけるファシズム(ナチズム)の成立は、いくつかの新書版など出版も増えてきたが、イタリアでの事情はドイツより10年位先輩格であるにもかかわらず知られることもより少ない印象である。1987年出版の本書は、独裁者ムッソリーニの思想的には「社会主義者」としてデビューした彼の生い立ちから、その頂点というべき1922年の「ローマ進軍」までの丹念な「年代記」である。

イタリアというラテンの血の伝統なのか、その権力奪取の凄まじさは中途半端なものではない。また、ファシズムに抵抗する勢力も命懸けだ。

問題なのは、その反ファシズムの運動が、部分的にはグラムシなどの理論的な格闘はあったが、(イタリア社会党に対するコミンテルンの「指導」も今から考えるとめちゃくちゃである。)あらゆる局面で効果的であったかどうかであろう。現代日本の「右翼」的論調がムッソリーニと全く同質とは言わないが、多くの共通点がある以上、私たちに重くのしかかる課題である。

「アルトロ・ウィの勃興と没落」ではないが、ムッソリーニの没落も聞きたいところではあるが、著者の逝去でその続篇はかなわぬこととなった。その没落の年代記は私たち自身で書かなければならないのだろう。


続・こんなご時世だからこそ(1)

カール・マルクス先生、「フランスにおける階級闘争」にて曰く

およそこのバローという人間ーブルジョア自由主義の化身で18年間を通じて彼の精神のいやしむべき空虚さを、そのからだのもったいぶった態度のしたにかくしてきたこの人間ーの犯さなかったような変節行為はなかったのだ。

ローレンス・スターン「トリストラム・シャンディの生活と意見」(1巻11章)からの借用らしい。ともあれどっかの国の首相と似ていなくもない。もっとも18年間も彼に付き合わされるのはご免であるが…


松田道雄:結核をなくすために

松田道雄先生の本を書棚の奥から取り出して改めて読んだのは、祇園まつりに触れたふる里の思い出がきっかけでした。

京都には、町医者の良き伝統があったらしく、子ども時代には、幾人かの「名医」に診てもらったと母から聞かされたことがあります。後に京都市長になった富井清先生は、眼科医、学校でトラコーマの疑いがあると言われて診察を受けました。先生が同じ医学部と知ったのは、当方が卒業してからです。連れ合いは、小児科医の松田道雄先生の診療所に通っていたといいます。その松田先生は、まだ結核が国民病と言われた時代、1949年に、この本、「結核をなくすために」という岩波新書の一冊を書かれていますが、60年近く経った今読んでも、先生の言葉がなんと瑞々みずみずしいことか!

 どんな軽い病気でも、その前の病人よりも上手になおしてみせようとする医者にとっては「ありふれた」病気というのはありません。たくさんの病人をみたことのある医者が名医なのではありません。千度みた病気にも、はじめてみる病気にも、同じ注意と警戒とを忘れない医者が名医なのです。ひとりひとりの病人にむかって、探求、比量、試行、批判へのやむことのない努力が、医者を「まじない師」や精神療法家から区別します。今日の医学が享受する高さのあるものは、日々の診療のなかに科学者であることをやめなかった医者の創意におうものです。

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インゲ・ショル:白バラは散らず


 映画「白バラの祈り」を観てきました。ナチスドイツ時代に、ヒットラーの独裁に反対し、白バラ通信というビラを普及することで、反ナチス運動を組織しようとしたが、ビラをまく時に発覚、死刑に処されたミュンヘン大学医学部学生などの運動を「白バラ」と言います。映画では、医学部生だったハンス・ショルの妹ゾフィーを中心に逮捕から処刑までの五日間を淡々と描いておりなかなか見ごたえがありました。
 当方も同じ医学生だったからでしょう、若かりし時に「白バラ」運動をはじめて日本に紹介することになったショル兄妹の姉による「白バラは散らず」を読み、心高ぶった思い出があります。日常生活では「事なかれ」的にすごそうと思うほど楽な事はないかもしれませんが、ぎりぎりの所で、巨悪に対して「ノー、それは違う」と言い続ける気迫は彼らから学び続けたいと改めて思っています。


坂口安吾「復員殺人事件」

角川書店, 1977.10 , 309p. 角川文庫絶版

以前はよく「車中読書」には、推理小説を読んで、長編なら、数日のうちに、短編なら、その時の「犯人あて」に興じていました。英米の「古典」では、当方の稚拙な推理では「歯がたたない」ものばかりでしたが、肩透かしを食っても、その事がかえって楽しませてもらった読後感でした。残念ながら、日本の推理小説、とりわけ戦前の「探偵小説」や現代の「新本格」では、設定がおおげさで鼻につく事が少なくなく、敬遠していました。その中では、坂口安吾の「不連続殺人事件」は、謎解きもすこぶる現実的、論理的であったことを覚えています。そのせいか、「犯人あて」とその過程の立証は当たった数少ない推理小説でした。坂口安吾は、以前、「一日一言」という岩波新書に、

 法隆寺も平等院も焼けてしまって一向に困らぬ。必要ならば、法隆寺をとりこわして停車場をつくるがいい。我が民族の光輝ある文化や伝統は、そのことによって決して亡びはしないのである。

という一節があり、いささかブッソーな事を言う作家だという印象を持っていました。1942年当時の発言だそうで、考えれば、「軍国主義」一色だった時代の非合理に対して、合理主義、現実主義者としての彼独特の精一杯の抵抗とも取れます。そんな、暗い谷間には、英米の「本格派探偵小説」を読みふけっており、その延長線で、終戦後、推理小説として長編二作と若干の短編を書いています。

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司馬遼太郎「街道をゆく〈20〉中国・蜀と雲南のみち」


【下記は、「十年一覺蒼穹夢」と医療生協機関紙「さわやか」に載せた文章を改めた文章である。】

昨年(2005年)の総選挙の結果、「小泉劇場」は終幕を迎えつつあると思っている。そんな事を考えていた頃、赤旗新聞の文化欄(2005年 9月22日付け)で、注目したのは、「ことば」をテーマにした「朝の風」という文化コラム欄での「司馬遼太郎の問いかけ」と題した次の一節の引用である。

——が、侵略した、ということは事実なのである。その事実を受け入れるだけの精神的ないし倫理的体力を後代の日本人はもつべきで、もし、後代の日本人が言葉のすりかえを教えられることによって事実に目を昏(く)らまされ、諸事、事実をそういう知的視力でしか見られないような人間があふれるようになれば、日本社会はつかの間に衰弱してしまう。——

シリーズ「街道をゆく」の「中国・蜀と雲南のみち 」からだそうだ。司馬遼太郎は満州に「出征」するが、直接、当時の日中間の軋轢(あつれき)体験はなく、贖罪感(しょくざいかん)で中国の人事に触れたことはないと断っての文章である。これを読んで、ふと「漱石」を感じた。そう、「三四郎」での広田先生の言である。

 三四郎は日露戦争以後こんな人間に出会うとは思いもよらなかった。どうも日本人じゃないような気がする。
「しかしこれからは日本もだんだん発展するでしょう」と弁護した。すると、かの男は、すましたもので、
「滅びるね」と言った。——熊本でこんなことを口に出せば、すぐなぐられる。悪くすると国賊取り扱いにされる。三四郎は頭の中のどこのすみにもこういう思想を入れる余裕はないような空気のうちで生長した。

主人公三四郎が、熊本から上京する汽車の中で様々な人間に出会う「三四郎」の冒頭は、小説の導入部としても秀逸と思うが、その中での、広田先生に出会い、カルチャーショックを受ける場面である。

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レールモントフ「現代の英雄」

 高校時代、ベチョーリンというあだ名の友人がいた。その頃は、クレージーキャッツの全盛期で、谷啓の「ガチョーン」や「ベチョーン」(というのがあったのかは定かではないが(^O^))という擬音語からきているものと思っていた。ある日友人にその由来を尋ねたところ、「ゲロイナシェーボ ヴレーミィア」との返事。その頃は、とんとブンガクに縁がなく、ましてやロシア文学の比較的マイナーな作家(といえば、レールモントフに失礼か(^^ゞ)の小説の原題であろうなど知る由もない。後に読んでみて、主人公ベチョーリンのロマン的というか、ちょっとニヒルで、体制に反抗的なところに魅了され、その友人のニックネームへの憧れが分かる気がした。ブンガクを通じて、皆がことさらに背伸びをしようとしていたわが「青春」の一こまである。
 そんな事を思い出しながら、再読の機会があった。さすがに、ベチョーリンへの感情移入は、昔のようにいかないが、レールモントフの持つやさしさや繊細さが時代の閉塞的な状況で、ベチョーリンの屈折した仮面に托されていたと感じる。ご存知のように、レールモントフは、先輩プーシュキンの跡を追うように、フレームアップまがいの決闘で斃れた。時代を駆け抜け、遺していった彼のメッセージに、今も心をうつ事が多いと思う。

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中野孝次「風の良寛」


定価:570円

何気なく、嚢中という言葉で連想していくと、良寛の漢詩を思いついた。そして、ひと頃話題になった「清貧の思想」の著者、中野孝次氏(2004年没)に良寛をテーマにした著作があるのも思い出した。(「清貧の思想」にも良寛の項目が立てられている。)

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