カテゴリー別アーカイブ: 古本でゲット

夜明けの雷鳴

幕末と明治の二世を生きた医師・高松凌雲の原点は、パリでの万国博覧会に随行したおり、学んだフランス医学だったんだ。きっと「自由、平等、博愛」のフランス革命の精神が息づいているのだろう。それが、函館五稜郭戦争の時、敵味方なく医療を施した経歴や後の社会的弱者のための無料医療の取り組みにもつながっているんだ。それは、遠く現代の民医連の院所などで実施されている「無料低額診療」へと生かされてゆく。

日本において、フランス医学ないしそのバックボーンとしてのフランス思想の系譜は決して太いものではない。高松凌雲を魁として、中江兆民をその偉大な例外としつつ、遠く時代隔てて、加藤周一、加賀乙彦あたりに注いでいる。

吉村昭の歴史小説は、森鷗外の伝統を受け継いだとでもいようか、素っ気ないほど余計な筋立てや仕掛けがないのが好感が持てる

吉村昭「夜明けの雷鳴」

吉村昭「夜明けの雷鳴」

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読んだ本ーサマセット・モーム「夫が多すぎて」

(「赤旗」文化欄・2014年10月31日付より)10686899_821032024615058_6670386448804735531_n

「そうなのよ、先の大戦で戦死した夫が生きてるなんで…私、情に深い性質(たち)なもので、夫の親友と結婚したばかりなのに…あした、ロンドンに帰ってくるわ、心配はしてないけども、なにしろ二人は大の親友だもんで、きっとうまくやってゆくわよ、でもね、やっぱり…お互い傷つかない方法ってないかしら…

私の悩みをハムレットの『生きるか死ぬか』になぞらえるのはちょっとおおげさかしら。せめて、『ベニスの商人』のポーシャみたいな智慧があったらな…『日本においては喜劇は悲劇であり、悲劇は喜劇である』だって、また、何か知ったかぶりのウンチクじゃない、それは!そんなことより、お芝居、楽しんでちょうだいね!」


3月23日のオフ

*今日は、全日の中央救急診療所出務に疲れ気味、空いた時間で、葉室麟「秋月記」を読んだ。爽やかな読後感だった。主人公は、山本周五郎の「樅の木は残った」の原田甲斐のような役割である。あらすじや批評は、「独り読む書の記」に詳しいが、ひとつだけ間違いがある。原猷(みち-原采蘋)の漢詩ではなく、彼女が引く(ひいては作者が)のは、彼女の師広瀬淡窓の「蘭」という詩である。

 ひと幽谷ゆうこくうちに生じ
あに世人の知るを願はんや
時に清風の至る有れば
芬芳ふんぼうみずかし難し

葉室麟『秋月記』

葉室麟『秋月記』

*外つ国言の葉の庭

Don Quijote para niños(15)(…)ANDANZAS POR SIERRA MORENA(…)Y Sancho emprendió el camino
decidido a llegar pronto
para volver enseguida
junto al hidalgo garboso.

ANDANZAS POR SIERRA MORENA

ANDANZAS POR SIERRA MORENA

そして、サンチョは街道をたどり、すみやかに到着するために、気品高き郷士の隣へと直ちに赴くよう決心した。

emprendió:emprender「着手する」の三単点過去、decidido:decidir「決める」の過去分詞、llegar:「到着する」の不定形、volver:「向きを変える」の不定詞、

Muy pronto se encontró al cura
y también al buen barbero
que querían que don Quijote
se fuera de nuevo al pueblo.

すぐに司祭に出会い、また、ドン・キホーテがふたたび人々の中で暮らすことを願う善良な理髪師にも出会った。

se encontró:encontrarse「出会う」の三単点過去、querían:「欲する」の過去未来(推量)、fuera:ser「〜である」の三単接続法過去ra形


1月26日のオフ

*今日は、外つ国言の葉の庭から

今日も、FBコメントそのまま…
¡Buenos días! Me llamo Don Quixote.(自称、ドン・キホーテです。)Anteayer(おとつい)、¡NO PASARÁN!(やつらを通すな!)が話題になりましたので、すこし先走って書きます。Me gusta este palabra.(私は、この言葉が好きです。)もちろん、歴史的な内容もそうですが、実にスペイン語的な表現だと思います。英語だと、They shall not pass! でしょうか。(4語より2語でバシッと決まる 笑)pasarán は、pasar(pass:通す)の三人称複数「未来」形です。一部の文法書では、「未来」形というのは正確ではなく「現在推量」形のほうが適切だとあります。表すニュアンスはいろいろあるようですが、その一部に、「意志」ないし「命令」(〜しよう、とか、〜するべきだ)を表現するというのが、pasarán の場合にあてはまるでしょう。人称変化は、基本は、動詞不定詞+変化部分です。→ é ás á emos éis án で、pasar(これが不定詞です。)では、pasaré pasarás pasará pasaremos pararéis pasarán。つまり、pasarán は、三人称複数での変化です。(ちょっと複雑ですので、後日触れます)No pasarán Masuzoe,Xosokawa,Abe,Xashimoto,Ishixara,Ishiba,Asou … (奴ら[が多すぎますな 笑]を通すな!)では、¡Adiós!(さようなら!)
そこで…

*今日のメディア逍遥
〽フランコを倒す人民戦線は我らに受け継ぐ奴ら通すな!

*この歳になって、「恋愛小説」を二つ読んだ。ツルゲーネフの「春の水」とモーパッサンの「死のごとく強し(死よりも強し)」である。「春の水」は戦前の岩波文庫・原久一郎訳。決闘までして成就しかけた恋は、別の人妻の誘惑によっていとも簡単に壊れてしまう。写真はツルゲーネフ(Wikipedia より)

ツルゲーネフ

ツルゲーネフ

もう、このような小説のヒーローになるようなことはないと思うが(笑)「恋愛」にとって、年月の流れのなかでの大いなる変遷とそのときどきに決定的な瞬間があるのだと考えてみたりして…

楽しき年も
さちの日もーーー
春の水の如く
はしり過ぎぬ
ーー古き叙情小曲より(「春の水」エピグラム)ーー
〽死のごとく強き思慕の念春の水たとえさちなどはしり過ぎても


1月13日のオフ

*昨日の読書の続き。秋元松代「かさぶた式部考」と同じ本に「常陸坊海尊」が収録されている。こちらは、はじめて読んだ。あらすじは、DRAMA INTERPRETATIONに懇切丁寧な解説がある。また、上演の際のねらいなど、東京演劇アンサンブルの故広渡常敏さんの簡潔な文章に尽きていると思う。私は、義経の敗退と日本の敗戦を心の痛みとして持ち続けるとされる常陸坊海尊という「フォルクロア」を通じて日本人が、戦前戦後で変わったもの、変わらなかったものを見極める視点がとても興味を引いた。「靖国」の英霊とは違った「鎮魂」の系譜を私たちは持っていたのではなかろうか?写真は、東京演劇アンサンブル・ブレヒトの芝居小屋・2002年10月の公演から

「常陸坊海尊」上演ポスター

「常陸坊海尊」上演ポスター

叔母が亡くなった。満州から、1才の乳飲み子(私の従兄弟)を抱えて引き上げてきたと苦労話を聞いたことがある。大きなことは言えないが、日本の戦後って何だったんだろう。これから通夜…合掌。

*今日のメディア逍遥
〽イエペスのふくよかな調べ真似てみるただもどかしく弦を押さえる

*外つ国言の葉の庭

Facebook のある投稿へのコメントそのままに…
¡Buenos días! 【毎日1つ、スペイン語】に引っ掛けて…Conozco un restaurante donde sirven una buena paella. おいしいパエリアを出してくれるお店を知っています。sirven ← servir(サービスする、供する) の(無人称文なので)三人称複数現在直接法、一方、Vayamos a un restaurante donde sirvan una buena paella. おいしいパエリアを出してくれるお店に行きましょう。 vayamos ← ir(行く) の一人称複数現在接続法、ちなみに、vamos は一人称複数直接法で、vamos a (場所や動詞不定詞)は、Let us のニュアンス、sirvan ← servir の三人称複数現在接続法、と「食事を出す」のは現在のところ「非現実」なので「接続法」になります。 スペイン語ってこのように動詞のいろいろな変化が「キモ」になります。また、おいおい解説します。

2月3日のオフ

*午前中は、地元自治会の幹事会。来年度の自治会役員を選出するということで、是が非でも出席しろ、と言われていた。こういう場合は、くじ運がいいのか悪いのか分からないが、なんと副会長の大役があたってしまった。役員の中にも、様々な方がおられ、なかなか前途は洋々と言うわけにはいかないが、淡々とこなす他ないのかな?

鶴見俊輔「高野長英」表紙

鶴見俊輔「高野長英」表紙


*今日のメディア逍遥
鶴見俊輔「高野長英」
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10月14日のオフ

*京都方面に山行に出かけようと思ったが、ちょっと体調の具合で断念、弁当もあることだし、陶器山~天野山くらいで、軽くジョッギングしようかな?
*10月3日の市長と文楽関係者の「意見交換会」。(写真は、大阪民主新報10月14日付けの記事)意見交換というのは、世間の常識では、あくまで対等の立場で、お互いの立場を理解するために行われるものだ。それを自分の理屈だけを一方的に述べるのを「独裁」と呼ぶ。たとえ、補助金を恵んでやるとのケチくさい御慈悲を示そうとも…

大阪の文化遺産守って!

大阪の文化遺産守って!


*今日のLong Tube Media
水野 忠夫 (著)「囚われのロシア文学―ソヴェト政権下の文芸活動」 (中公新書)(アマゾン
ロシア文学というと、プーシキン、トルストイ、ドストエフスキー、チェーホフなどを思い浮かべるが、実は、その「伝統」は、エセーニンなど革命直後の「百科争鳴」の時期を経て、現在まで繋がっている。革命前もそうだったように、革命後も、文学は時の政治勢力と必ずしも幸せな関係ではなかった。 私たちにとってアクチュアルなのは、戦争終結からソ連邦崩壊直前のそれぞれの作家がたどった運命である。ソルジェニーツィンの「宗教的な回心」の全てを肯定できないまでも、その全てが忘れ去られようとしている現在、日本に生きる私たちにとっても、重くのしかかる課題と感じられる。


9月22日のオフ

文楽11月「仮名手本忠臣蔵」の通し公演のチケットが、ある共済会の抽選で当たった(写真)。なんと5割引!でも、二人で観ようと思えば、もう一組ゲットしなくては…

「仮名手本忠臣蔵」の通し公演

「仮名手本忠臣蔵」の通し公演


*今日のLong Tube Media
ベルトルト・ブレヒトの「第3帝国の恐怖と貧困」。単純な同一視、アナロジーは戒めなくてはならないが、今日的状況と引き比べてしまう。また、個々のエピソードは、時空が異なるので、万全の理解はできないが、親が子どもの密告を恐れる場面など十分恐怖的である。最後の女将さんの台詞「(考えながら)一番これがいいわ、たった一言、『いやだ』って書くの。」は、恐怖と貧困の中でのパンドラの箱か?


暗香枕に和す、合歓の花

木下杢太郎画「新編百花譜百選」

木下杢太郎「合歓の花」
去年は庭先に合歓の木があり、今頃には花をつけていましたが、今年はどうも枯れてしまったようです。そこで、江馬細香の合歓の花の漢詩と、木下杢太郎画「新編百花譜百選」より、1943年7月30日のスケッチを掲載しておきます。

 

 夏の夜
雨晴れて 庭の上には 竹そよぐ風多し
新しき月は眉の如く ほのかなる影は斜めなり
深夜 涼しきをむさぼりて 窓をおほはず
なやましき香 枕に和す 合歓めむの花

芭蕉の「象潟や雨に西施が合歓ねぶの花」でもそうですが、細香の詩からも、合歓という字には、やや艶かしい響きがあるようですね。また、決して明るい世情ではなかった時代に、杢太郎はどんな思いで合歓の花をスケッチしたのでしょうね。そんな事を思ってみました。