永井荷風:摘録「断腸亭日乗」(下)
文学者の永井荷風は、発表する機会はないものの、戦争中も軍国主義的な時流に批判的な態度を崩しませんでした。「断腸亭日乗」では、戦争終結まで、あと 2週間、1945(昭和 20)年 8月 1日に永井荷風は書いています。
八月初一。晴。おも湯を啜りて病を養ふ。晩間腹候漸く佳し。
その一日前、7月31日には、大阪市中で米軍が撒いたビラを知人から手に入れたのでしょうか、引用しています。自らの飢餓状態と重ね、敗色濃厚の切迫した情勢を感じていたのでしょう。
…現在の事態は日本を破滅に導いた軍部指導部の採った理論が誤謬であって、尾崎(行雄)氏の如き人〻が正当であった事を立派に証明している。言論の自由と自由主義政府を再び確立することが日本の将来を保証する唯一の道である。

永井荷風と言えば、日本ペンクラブ電子文藝館に、「花火」という作品があります。荷風の花火の思い出では、「戦勝記念」など日本が望まぬ方向に舵がきられる「祝賀」と結びついているようです。明治末期の大逆事件後の「冬の時代」には、荷風をして、
わたしは文学者たる以上この思想問題について黙してゐてはならない。小説家ゾラはドレフュ一事件について正義を叫んだ為め国外に亡命したではないか。然しわたしは世の文学者と共に何も言はなかつた。私は何となく良心の苦痛に堪へられぬやうな気がした。わたしは自ら文学者たる事について甚しき羞恥 を感じた。以来わたしは自分の藝術の品位を江戸戯作者のなした程度まで引下げるに如くはないと思案した。
と「誠実」に告白しています。とまれ、今日は、PL 花火の日、久しぶりに自宅で花火見物ができたので、写真と動画をアップしておきます。写真をクリックすると、動画へリンクしています。(avi ファイル、ただし、153M とデカいファイルで恐縮です。(^^ゞ)62年前、いやそれ以前から、荷風が抱いた苦い思いを想像し、だからこそ、平和の時代にこそ花火がふさわしいことを思いながら…
【おまけ】
2007年8月1日 PL 花火フィナーレです。(avi ファイル、41.3M)