森鴎外「護持院原の敵討」(青空文庫図書カード)は封建社会の非人間性を淡々と告発した佳品であるが、後に起こった仇討ち(天保九年(1828)〜弘化三年(1846))と混同されることが多い。後の事件は、松本清張の「天保図録」と吉村昭「敵討」に詳しい。(若干両氏にはニュアンスの違いがあるが…)

図は吉村昭「敵討」(新潮文庫)
森鴎外「護持院原の敵討」(青空文庫図書カード)は封建社会の非人間性を淡々と告発した佳品であるが、後に起こった仇討ち(天保九年(1828)〜弘化三年(1846))と混同されることが多い。後の事件は、松本清張の「天保図録」と吉村昭「敵討」に詳しい。(若干両氏にはニュアンスの違いがあるが…)
図は吉村昭「敵討」(新潮文庫)
*デイサービスにも春の気配…お雛さんが飾られていた。
*今日のメディア逍遥
先日も紹介したが、京都への電車の中では、「凍てつく世界」を読んでいた。ドイツでは、国会議事堂焼き討ち事件を機に、ファシズムへの傾斜が急速に進んだが、日本では、78年前の今日起こった二・二六事件だろう。毎年、この日には、青空文庫に収められている、河合栄治郎の「二・二六事件に就いて」を読むことにしている。写真は、翌日の朝日新聞(FB友の犬丸さんがアップされていた。)
…筆者は之等の人々を個人的に知らず、知る限りに於て彼等と全部的に思想を同じくするものではない。然しファッシズムに対抗する一点に於ては、彼等は吾々の老いたる同志である。動もすれば退嬰保身に傾かんとする老齢の身を以て、危険を覚悟しつつその所信を守りたる之等の人々が、不幸兇刃に仆るとの報を聞けるとき、私は云い難き深刻の感情の胸中に渦巻けるを感じた。
ファッシストの何よりも非なるは、一部少数のものが〈暴〉力を行使して、国民多数の意志を蹂躙するに在る。国家に対する忠愛の熱情と国政に対する識見とに於て、生死を賭して所信を敢行する勇気とに於て、彼等のみが決して独占的の所有者ではない。吾々は彼等の思想が天下の壇場に於て討議されたことを知らない。況んや吾々は彼等に比して〈敗〉北したことの記憶を持たない。然るに何の理由を以て、彼等は独り自説を強行するのであるか。…
…今や国民は国民の総意か一部の暴力かの、二者択一の分岐点に立ちつつある。此の最先の課題を確立すると共に社会の革新を行うに足る政党と人材とを議会に送ることが急務である。二月二十日の総選挙は、夫れ自身に於ては未だ吾々を満足せしめるに足りないが、日本の黎明は彼の総選挙より来るであろう。黎明は突如として捲き起これる妖雲によって、暫くは閉ざされようとも、吾々の前途の希望は依然として彼処に係っている。
此の時に当たり往々にして知識階級の囁くを聞く、此の〈暴〉力の前にいかに吾々の無力なることよと、だが此の無力感の中には、暗に暴力讃美の危険なる心理が潜んでいる、そして之こそファッシズムを醸成する温床である。暴力は一時世を支配しようとも、暴力自体の自壊作用によりて瓦壊する。真理は一度地に塗れようとも、神の永遠の時は真理のものである。此の信念こそ吾々が確守すべき武器であり、之あるによって始めて吾々は暴力の前に屹然として亭立しうるのである。
この文章の意が通用するのは、毎年、同じことを書こうと、やはり、現在の悲劇であるとくり返さざるをえない。
〽燃えているものは我らが民主主義あの頃に似た時代を憂う
*外つ国言の葉の庭
Don Quijote para niños(2)(…)EL PRINCIPIO DE LA HISTORIA(…)
Vivía Alonso Quijano
en un lugar de la Mancha
era alto y desgarbado
y con una frente bien ancha.アロンゾ・キハーノは、ラ・マンチャの田舎で暮らしていたが、彼は背が高く不格好な体型で、たいへん幅広のオデコだった。
vivía:vivir「住む」の三単線過去、era:ser の三単線過去
Como todo un caballero
que se precie y tenga fama
decide cambiar su nombre
por don Quijote de la Mancha.馬を自慢し、名望あるような、完全無欠のナイトにあこがれ、名前を「ドン・キホーテ・デラ・マンチャ」に変えた。
se precie:preciarse「自慢する」の三単現在接続法、tenga:tener の三単現在接続法、decide:decidir「決める」の三単現在
*今日は、どうも調子が出ない。病児保育の熱が続く子はインフルエンザに違いないと思ったが、2回めの迅速反応も陰性。インフルエンザの治癒証明書を書こうと思った子は、もう別医で登園許可証をもらったり…こういう齟齬のある日もあるか?
噴火湾(ノクターン)
稚いゑんどうの澱粉や緑金が
どこから来てこんなに照らすのか
(車室は軋みわたくしはつかれて睡つてゐる)
とし子は大きく眼をあいて
烈しい薔薇いろの火に燃されながら
(あの七月の高い熱……)
鳥が棲み空気の水のやうな林のことを考へてゐた
(かんがへてゐたのか
いまかんがへてゐるのか)
車室の軋りは二疋の栗鼠
ことしは勤めにそとへ出てゐないひとは
⦅みんなかはるがはる林へ行かう⦆
赤銅の半月刀を腰にさげて
どこかの生意気なアラビヤ酋長が言ふ
七月末のそのころに
思ひ余つたやうにとし子が言つた
⦅おらあど死んでもいゝはんて
あの林の中さ行ぐだい
うごいで熱は高ぐなつても
あの林の中でだらほんとに死んでもいいはんて⦆
鳥のやうに栗鼠のやうに
そんなにさはやかな林を恋ひ
(栗鼠の軋りは水車の夜明け
大きなくるみの木のしただ)
一千九百二十三年の
とし子はやさしく眼をみひらいて
透明薔薇の身熱から
青い林をかんがへてゐる
フアゴツトの声が前方にし
Funeral march があやしくいままたはじまり出す
(車室の軋りはかなしみの二疋の栗鼠)
⦅栗鼠お魚たべあんすのすか⦆
(二等室のガラスは霜のもやう)
もう明けがたに遠くない
崖の木や草も明らかに見え
車室の軋りもいつかかすれ
一ぴきのちひさなちひさな白い蛾が
天井のあかしのあたりを這つてゐる
(車室の軋りは天の楽音)
噴火湾のこの黎明の水明り
室蘭通ひの汽船には
二つの赤い灯がともり
東の天末は濁つた孔雀石の縞
黒く立つものは樺の木と楊の木
駒ヶ岳駒ヶ岳
暗い金属の雲をかぶつて立つてゐる
そのまつくらな雲のなかに
とし子がかくされてゐるかもしれない
ああ何べん理智が教へても
私のさびしさはなほらない
わたくしの感じないちがつた空間に
いままでここにあつた現象がうつる
それはあんまりさびしいことだ
(そのさびしいものを死といふのだ)
たとへそのちがつたきらびやかな空間で
とし子がしづかにわらはうと
わたくしのかなしみにいぢけた感情は
どうしてもどこかにかくされたとし子をおもふ(一九二三、八、一一)
*今日のメディア逍遥
〽人生は所詮は序曲舞台ではどんな芝居がかかるのだろう
*外つ国言の葉の庭
*とりとめのない話題で引用二つ…
…ホモイは玉を取りあげて見ました。玉は赤や黄の焔をあげて、せわしくせわしく燃えているように見えますが、実はやはり冷たく美しく澄んでいるのです。目にあてて空にすかして見ると、もう焔はなく、天の川が奇麗にすきとおっています。目からはなすと、またちらりちらり美しい火が燃えだします。…
…貝の火が今日ぐらい美しいことはまだありませんでした。それはまるで赤や緑や青や様々の火がはげしく戦争をして、地雷火をかけたり、のろしを上げたり、またいなずまがひらめいたり、光の血が流れたり、そうかと思うと水色の焔が玉の全体をパッと占領して、今度はひなげしの花や、黄色のチュウリップ、薔薇やほたるかずらなどが、一面風にゆらいだりしているように見えるのです。…
宮沢賢治「貝の火」(青空文庫カード)
なんぢをばかなしまず行けたとへそらOPALの板となりはつるとも。
ぬれそぼちいとしく見ゆる草あれど越えんすべなきオーパルの空
宮沢賢治・短歌
・やさしい仏教入門
〽
消寒絶句六首 其二 清・呉錫麒
礬頭山在屋頭堆
磬口花于水口開
不遇故人誰共賞
打氷声裏一舟来消寒絶句六首 其の二 清・呉錫麒
礬頭の山は屋頭に在りて堆く
磬口の花は水口に于いて開く
故人に遇わずんば誰か共にか賞せん
打氷 声裏 一舟来る
*外つ国言の葉の庭
*今日のメディア逍遥
〽それぞれに諸行無常の響きあり野望の人の明日はいずこか
*今日のメディア逍遥
・青空ミセラス君での「大日本帝国憲法」ルビ付き縦書PDF
*昨年の連休での金剛山登山口での駐車場難に懲りて、朝早く出発、カトラ谷→山頂→久留野峠というお決まりのコース。下山途中でカメラマニアの方から、高い木にアオバト(Wikipedia)のつがいが止まっているのを教えていただいた。青色というより全体に緑っぽいようだ。金剛山では、花の名前は、いろいろ覚えたが、鳥も種類が豊富らしい。
*今日のメディア逍遥
宮沢賢治「グスコーブドリの伝記」
秋田魁新報のコラム欄北斗星(2011年12月18日付け)(今は、Web 上に存在しない)に、宮沢賢治の「グスコーブドリの伝記」でのブドリの活躍と福島原発事故を絡めて、
▼政府は福島原発事故の収束を宣言したが、避難者の帰還のめども立たないのに何が収束かという不信の声が渦巻いている。人類史に残る過酷事故である。その対応には、ブドリのような献身さがほしい。
と書く。でも、それはちょっと違うんじゃあないかな。ブド
若い頃見た東京演劇アンサンブルの「グスコーブドリの伝記」は忘れられない芝居の一つである。ラストシーンで、
ブドリは英雄になった。しかし、なぜ英雄が必要だったのか、それは私たちの問題である。ああ諸君よ諸君…
と自らを犠牲にしてイーハトーヴの農民を救うために火口に飛び込んでいったブドリを悼み、クーボー大博士は、こう問いかける。そして、たしか、劇冒頭にも出てきた気宇壮大な彼の詩で私も大好きな「生徒諸君に寄せる」の一節を引用するのだった。
賢治は「グスコーブドリの伝記」の結末では、ブドリが「一人島に残」った事しか書いていない。現代に通じる芝居としてどう成り立たせるか、脚本兼演出家の広渡常敏氏の手腕がさえた結末だと記憶している。
「英雄の必要な時代は不幸である。」とは確かエンゲルスの言葉である。
*インフルエンザの治癒証明書、保育園は必要でけっこうめんどくさい。時々、園から親がもらってこなくて、もう一度出直しということになりかねない。そんな時は、子どものおでこにスタンプを押すことにしている(嘘)。もっとも、最近は、電子カルテになり、「胸部レントゲン指示」などのスタンプ類が机から一掃され、押したくても、ものがない…
*今日のメディア逍遥
〈〉内は発表当時は伏字!である。
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*先週が休日ということもあって、今日は今シーズン最高の賑わいで「たまご」(注:「たくさんまたせてごめんね」の略 笑)状態。先週半ばくらいからインフルエンザもブレーク、病児保育「まつぼっくり」も全員がインフルエンザ。「タミフルなど抗インフルエンザ薬は使わな い方がよい」と保護者に納得してもらうために、長めに時間をとるので、余計「たまご」。検査結果がでるまでの時間にひたすら Nelson の Infuluenzae の項目をWebで読んだ(笑)
*今日のメディア逍遥
赤旗潮流は、今日が命日の女流俳人・杉田久女の話題( http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2013-01-21/2013012101_03_0.html )昔彼女の代表作「足袋つぐやノラともならず教師妻」に感心したことがある。他に青空文庫( http://www.aozora.jp/misc/index_pages/person606.html )には、彼女の評論があり、なかなか鋭い感性を持っていたようだ。今度、まとめて読んでみよう。
*インフルエンザワクチン・ラプソディ二題。「ワクチン打つから、腕を出してください。」「要するに手を抜けば良いんですね。」「あのお、注射するときは、決して手を抜きませんので。」と訳の分からない会話。「Tさん、ワクチン打っとこか?」「アホは風邪引かんからええわ。」「何言うてんねん。今年のインフルエンザは、そんなの関係なくかかるでえ。」と言いかえしたら、しばかれた(笑)。
*たくさんの方からの飼い犬への「ご弔辞」、ありがとうございました。チータさんは、お別れに際して、「タケル、ネンネちたな、バイバイ!」と優しく撫でていました。大げさですが、何か去りゆく命に対する慈しみと、その生命を受け継ぐ確固たる意思を感じてしまいました。連綿と続く生命の連鎖に改めて思いを馳せた次第です。
*今日のLong Tube Media
今日、10月29日の赤旗スポーツ欄に、太平洋戦争で志半ばで戦死した登山家のことが載っていた(写真)。
*病児保育室「まつぼっくり」は、Sちゃんが、また熱で入室。ママ曰く「保育所は、まつぼっくりに変わろうかしら?措置変更してもらおうかな」「まあ、そんな時期もありますよ!そのうちジョウブクなって、縁もなくなるんだから」
*月刊保団連2012年9月号巻頭の二宮厚美さんの投稿(写真)。「社会保障・税一体改革」は、引き続き「国民皆保険制度」への新たな挑戦となってくることは必定である。