カテゴリー別アーカイブ: 子どもの貧困

5月18日のオフ

*近くで以下の講演会などがあったので、何年かぶり、いや何十年かぶりに、梅田の北新地(曽根崎新地)あたりを歩いてきた。近松の「曽根崎心中」や「心中天網島」の蜆川(曽根崎川)のありかを示す案内板があった。(写真)

フォーラムは、大阪府女医会、産経新聞社主催「病児保育を考える」。中野こども病院の木野先生の話は明快で、興味深く聞けた。全国的にも、現在の三倍の規模の病児保育が必要だとの主張は、十分肯首できる。(写真)他の講演者は、正直聞くに堪えなかった。ある小説家などは自作の宣伝ではないか?天王寺区の公募区長などは、区内で実現もできていない「病児保育」の計画だけで、「大風呂敷」も甚だしい。限られた講演時間では、木野先生の時間をたっぷりとって欲しかったというのが実感である。パネルディスカッションでも、当たり前のように「こどもの保育は必要だ」というのが出発点ではないはず。もっと病児保育をどう作ってゆくのかという具体的な問題提起が聞きたかった。弁護士の話の中で、「貧困解決」の一助としての「病児保育」が強調されたり、木野先生や大阪府女医会の尾崎先生の病児保育の実際に触れられたりしたのがわずかな救いである。


*今日のメディア逍遥
すこし早いが、6月15日の父の日に因んで…
いい意味でも悪い意味でも、お父さんは時代の「規範」以上には出なかったようだ。
〽父親は決まりの中の音作りやがて才は息子へ羽ばたく

*FBコメントより

南宋の朱弁の詩に「春を送る」というのがあります。
送春
風煙節物眼中稀
三月人猶戀褚衣
結就客愁雲片段
喚回鄉夢雨霏微
小桃山下花初見
弱柳沙頭絮未飛
把酒送春無別語
羨君纔到便成歸

風煙《ふうえん》の節物《せつぶつ》眼中稀に
三月人猶お褚衣《ちょい》を戀う
客愁を結び就《つ》けて雲は片段たり
鄉夢《きょうむ》を喚《よ》び回《かえ》して雨は霏微《ひび》たり
小桃《しょうとう》山下に花初《はじ》めて見《あらわ》れ
弱柳《じゃくりゅう》沙頭《さとう》に絮《わた》未だ飛ばず
酒を把《と》りて春を送るも別語《べつご》無く
君の纔《わ》ずかに到りて便《すなわ》ち歸《かえ》るを成《な》すを羨《うら》やむ

宋が南渡の時、金の捕囚となり、その後十七年に渡り、北に抑留された詩人です。季節を示すものは目に見えず、人々はまだ綿入れを着ている。旅の憂いは雲のように空に浮かび、故郷の夢も覚めてみれば雨に霞むだけ。桃の花はようやく花開いたが岸では柳絮はまだ飛ばない。杯をかざして春を送るも、君(春)はすこしばかりの時を経てもう帰ってゆくのか?君が羨ましいよ!てな意味でしょうか。ここでは柳絮は季節の風物詩とともに、柳絮のように飛んでゆけない自分を恨んでいます。唐詩とは違った宋詩の新しい語句の使い方があるように思います。

【参考】 http://www.haoshici.com/Zhubian315.html

https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=245596828979367&id=100005871543455


4月26日の診療

*今日は、外来終了後に久しぶりにセミナー受講(写真)、講演Ⅰは、「新規ワクチンの導入にどう対応するか―子どもと家族に寄り添う接種医の立場で―」、講演Ⅱは「ロタウィルス感染症:予防の重要性とワクチンのインパクト」、二つとも実際的で有益な講演であった。前者では、診療所でのワクチン接種の開始や間隔など細かいことを手直しする必要がありそうだ。後者は、ウィルス学からのロタウィルスの特性や脳炎・脳症などの看過できない合併症の話が聞けた。また、講演後質問したが、ロタウィルスによる無熱性けいれんは、どうやら日本特有のものではなく、脳炎・脳症との関連は薄そうだ。

大阪小児科医会予防接種セミナー

大阪小児科医会予防接種セミナー


*今日のメディア逍遥
〽シングルのたつきの路はなお険し子どもの貧困連鎖を断ち切れ
ひとり親家庭

ひとり親家庭

FB投稿より:私たちが考えている以上に、なかなか現状は深刻です。以前、私たちの病児保育で「ひとり親」の割合を調べたところ、約3割にものぼりました。このように、病児保育は、親の就労支援の大きな柱として位置づけられるべきです。ただ、本書では、病児保育は「派遣型」の民間企業の活動として評価されているのは残念なことです。公的な支援策として、まず「拠点型」のハード・ソフト両方の拡張を図る必要があると思います。阿部彩さんの同岩波新書「子どもの貧困 Ⅰ、Ⅱ」の提起するのとあわせて、子どもの貧困の連鎖を断ち切るためにも、向き合わなければならない課題でしょう。