カテゴリー別アーカイブ: あの人のこんな言葉…

続・こんなご時世だからこそ(4)

女性用カール・マルクスTシャツ

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カール・マルクス先生「フランスにおける階級闘争」(中原稔生訳)にて曰く
少し、遡り…
「ブルジョアジーは、これまで自己の飾りとし、また自己の全能の根源としてきた普通選挙権を、いまや否認して、あからさまに告白する。「われわれの独裁はこれまでは国民の意志によって成立していたが、いまやそれは民衆の意志にさからって強固にされなければならない」と。そして当然の帰結として、彼らは自己の支持者をもはやフランスの国内に求めないで、国外に、外国に、外敵の侵入に求める。」
この著作ではマルクスの分析は総じて一本調子的なキライがないではないが…
写真は、「Politicalレディースアパレル」から 笑

後に書かれた「フランスにおける階級闘争」序文(エンゲルス)は、革命政党の「議会主義」的戦術を定式化したものであるが、今日(こんにち)となっては、表現など若干古くなってきているのは否めない。


続・こんなご時世だからこそ(3)

カール・マルクス先生曰く
続いて、「フランスにおける階級闘争」(中原稔生訳)から
「その必要があれば、われわれ(そのころの秩序党、今の時代は?)は憲法にも違反するであろう。が、いまはその必要もない。なぜかと言えば、憲法はなんとでも解釈できるものであり、しかも多数派のみがいずれが正しい解釈を決定する権限をもっているから、と。」
先日の、ローレンス・スターン「トリストラムシャンディ」からのもじりは、第1巻11章には該当するのが見当たらなかった。もう一度最初から探してみよう…


続・こんなご時世だからこそ(2)

「人は子どもというものを知らない。子どもについて間違った観念を持っているので、議論を進めれば進めるほど迷路に入り込む。この上なく賢明な人々でさえ、おとなが知らなければならないことに熱中して、子どもには何が学べるかを考えない。彼らは子供の内に大人を求め、おとなになる前に子どもがどういうものであるかを考えない。」
今野一雄訳「エミール」
熱っぽくルソーを語ってくれた秋葉英則先生をふと思い出した。


和辻哲郎「日本精神史研究」

柄になく、和辻哲郎の「日本精神史研究」なる本を読んだ。
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本体というより、加藤周一の解説を読みたかったからだ。加藤周一の「日本文学史序説」には直接には、和辻哲郎への言及はない。政治思想的には反対の極に立つ和辻をどう評価するのか、少し興味がある。解説の最後に、加藤周一は書く。

『日本精神史研究』の改訂が、時代の変化、すなわち「大正デモクラシー」の自由主義から超国家主義的風潮への知的雰囲気の推移を反映していることを指摘し、それにもかかわらず改訂『日本精神史研究』の本文が、大すじにおいて見事な「作品」であり、それを見事な「作品」として成り立たせたのが。著者の意思と能力ばかりではなく、また二十年代日本の時代であったことを指摘すれば足りる。私は二・二六事件以後の日本政府にも、その日本政府の立場に近づいた和辻の著作にも賛成しない。しかし今日読みかえしてみて、『日本精神史研究」を愉しむのである。

機会あれば、その「大正デモクラシー」が「大政翼賛」へ傾斜していったのか?和辻のみならず、もうすこし人物をひろげて観てみたいと思う。
追加として加藤周一のことばをもう少し引いておく・

話を民主主義の問題にかえせば、私は戦争から戦後にかけての大衆の意識の上に、自発的な前進、したがってもとへは戻りようのない変化があるといった。しかしその大衆は、おそらく「万葉集」の時代から一貫して発展してきた精神的構造によって支えられているのであり、まさにその意味で日本の大衆なのである。大衆の中にある持続的なものとは、その精神的構造に他ならない。どういう民主主義ができるか、またそれがどこまで発展するかということは、長い見通しとしてそのことにかかわってくるだろう。

「日本人とは何か」現代日本の文明史的位置

結果的には「大正デモクラシー」を実質化できなかった和辻の立ち位置との対極がそこにはある。


大阪民医連からの依頼原稿

「戦争法と医療」など大きなテーマで書くのはあまり得手ではない。そこで、 今までの諸兄のご投稿と趣きを変えて、敗戦直後に、B級戦犯として処 刑され た木村久夫氏のことを紹介する。
氏のことを知ったのは偶然のことであった。戦没学生の手記を集めた「きけわ だつみのこえ」という文集の掉尾に、ある人物の白眉の遺書があること は知っ ていた。そのことが、ほくせつ医療生協の機関紙での「歴史散歩」という連載記 事に取り上げられ、遺書の筆者が氏だと知ったのは、日本共産党 大阪府委員会 に勤務する高校の後輩Nさんからの知らせであった。そして実に氏は私の豊中高 校 (当時は中学、昭和11年卒業)の先輩にあたる。一時は、金沢第四高等学校 志望とあるから実現していたら二重の意味で先輩である。
京大経済学部に入学した氏は、学業半ばにして、出征、インド洋に浮かぶカー ニコバル島に配属され、通訳業務にあたったが、終戦直前の住民虐殺に 連座 し、上官の罪をかぶる形で連合国側により絞首刑に処せられた。その獄中で田辺 元「哲学概論」の余白に書かれたのが、その遺書である。
一昨年、東京新聞などで「わだつみ」に収録分以外にもう一通別の遺書があっ たと報じられた。そこにはさらに鋭い当時の軍部批判 が書かれていた。(余談 になるが、東京新聞は木村氏の恩師・塩尻公明氏が遺書を改ざんしたと断じてい るが、中谷彪氏は、木村氏の父が、戦後のGHQの検閲 を考慮した結果と言 う。私は中谷説の方が説得力があると思う。)
「彼(軍人)が常々大言壮語して止まなかった忠義、犠牲的精神、其の他の美学 麗句も、身に装ふ着物以外の何者でもなく、終戦に依り着物を取り除か れた彼 等の肌は実に耐え得ないものであった。此の軍人を代表するものとして東條前首 相がある。更に彼の 終戦に於て自殺(未遂)は何たる事か。無責任なる事甚だ しい。之が日本軍人の凡てであるのだ。」
歴史に仮定が許されるはずはない。でも氏の示した学問の力を支えにして、歴 史的事実を起こした原因の深い洞察と、現在の私たちに課せられた課題 に真剣 に向き合うことが氏が遺したものだと思えてならない。「戦争法」の実質化がな されようとされる昨今、そのことを強く噛みしめたい。 写真は、木村久夫氏の 高知高校時代の肖像と「哲学概論」の余白に綴られた遺書である。
(以上、ほくせつ医療生協の機関紙への投稿を加筆・訂正した。)PK2013122502100116_size0


師曰く(10)


エーリヒ・フロム先生曰く
「社会の内部に客観的な矛盾や葛藤が増大し、その解体傾向が次第にあらわになるようなときは、社会のリピドー的構造にもある変化が生じてくる。社会の安定を保っていた伝統的なきずなは消失し、伝統的な情緒的態度には変化が現れてくる。リピドーのエネルギーは新たな水路に向けて解放され、したがってその社会的な機能も変化する。そのエネルギーはもはや社会の体制維持には役立たず、新しい社会の形成と発展に貢献するようになる。それは「セメント」であることを止め、ダイナマイトに転ずるのである。」

『精神分析の危機』(中公新書・細見和之『フランクフルト学派』より)


師曰く(9)

シェイクスピア先生曰く

すべてのことにうんざりして 私は死んでしまいたくなる
優れた人が乞食のように扱われ
取るに足らないやつが派手に着飾っているのをのを見るにつけ
そして純粋な信頼が不幸にも裏切られたりするのを

見せ掛けの名誉が恥ずべくも重んじられたりするのを
乙女の美徳が荒々しくも踏みにじられたりするのを
正しき完全さが無残にも打ち棄てられたりするのを
無能な権力が飛躍を妨げたりするのを

芸術が権威によって口を塞がれたりするのを
能無しが学者面して学問を仕切ったりするのを
単純な真実が馬鹿にされたりするのを
捕らわれた善が悪の親玉に奉仕させられるのを見るにつけ

すべてのことにうんざりして、これらすべてにおさらばしたい
死んで愛する人をひとり残すことになるのでなかったのなら

Tired with all these, for restful death I cry,
As, to behold desert a beggar born,
And needy nothing trimm’d in jollity,
And purest faith unhappily forsworn,

And guilded honour shamefully misplaced,
And maiden virtue rudely strumpeted,
And right perfection wrongfully disgraced,
And strength by limping sway disabled,

And art made tongue-tied by authority,
And folly doctor-like controlling skill,
And simple truth miscall’d simplicity,
And captive good attending captain ill:

Tired with all these, from these would I be gone,
Save that, to die, I leave my love alone.

ソネット66番、ツヴァイク「エラスムスの悲劇と栄光」で引用されていたので

梅丘歌曲会館・詩と音楽

ショスタコーヴィチが、曲をつけているようだ。


師曰く(8)

マックス・ホルクマイヤー先生(Wikipedia)曰く
「なぜならヒロイズムと高貴な<世界観>がやかましく叫ばれる全体主義国家を支配しているのは、信条や世界観ではなく、かえって運命や上からの命令に対する個人の不活発な無関心や無感動にしかすぎないからである。今日のわれわれの任務は、理論への能力と理論からひきだされる行動への能力が、将来決して再度消え去ることはないのだという保証を行なう仕事である。きたるべき平和の時期に、日常生活のワダチが、問題全体を忘れさせかねないようになっても、消え去らないのだという保証を行なう仕事である。われわれの任務は、人類が現在の恐るべきデキゴトによって、完全に落胆させられないように、また人間にふさわしい、平和で、幸福な社会の方向への人間の信仰が、この世から消え去らないようにたえず闘いを続ける仕事である。」

(哲学の社会的機能 1940年 より)


師曰く(7)

ニーバー先生曰く(中島岳志さんの講演より)

神よ

変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。


なぜ書き続けたか、なぜ沈黙してきたか、「4.3事件を問い続ける」

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5月31日づけ、赤旗読書欄「背表紙」より

先日、「上方芸能・文化を愛する会」というFBグループに以下の投稿をした。
もうすぐ、済州島4.3事件の日がやってくる。以前、紹介した、在日の詩人・金自鐘(キムシジョン)さんの自伝「朝鮮と日本に生きるー済州島から猪飼野 へ」の書評が、赤旗2015年3月29日に載っていたので紹介。その前の3月23日づけの文化欄には、金時鐘さんのインタビュー記事が載っていたので合わ せて…前述もしたが「在日」の意味を繰り返して問いかけることにより、「上方文化」はその陰影を深めながら豊かになってゆく。また今も済州島では、海軍基地建設の問題で、住民の思いは複雑なようだ。


簡単解説・済州島の海軍基地建設問題
紹介の本のなかでは、金石範氏は金時鐘氏への評価として「抒情を超えた、肉体としての言語の力…感傷を排除しても、抒情はいくらでもできる」と述べている。また金時鐘氏は、「事実というのは個人にとって圧倒するものであっても、それは球面体の一点のシミみたいなものだと思う。真上からはそのシミが大写しになってすべてのようであるけど、角度がずれると見えないものである。だから事実が真実として存在するためには、その事実が想像力のなかで再生産されなくてはならない。それが客体化された事実、つまり文学なんだ。」と説く。詩的な感受性の全くない私でも何となく分かる気がする。
日本帝国主義の負の遺産をまるごとひきづりながら、戦後直後米ソのはざまでその取引材料にされた朝鮮半島、こうした大状況ー客体化された事実ーを考えなおすのはまた別の課題である。