日別アーカイブ: 2005年 1月 19日 水曜日

啄木の日記に遺《のこ》る涙痕《なみだあと》

「よろづぶてうほう」号外第二号

一千九百十一年(明治四十四年)一月十九日

啄木先生のあふるる真情おもひを見よ!

吾人は側聞そくぶんす、裁断さいだんのその日、先生、涙をぬぐ日記にきなるをしたためし事を!此処ここに先生の手狭ささやかなる書斎の文机に置かれたるを垣間かいま見て、しば哀情あひじやうを共にせむ。

石川啄木(Wikipedia より)

  • 1月18日 半晴 温
今日は幸徳らの特別裁判宣告の日であった。午前に前夜の歌を精書して創作の若山君に送り、社に出た。
今日程予の頭の昂奮していた日はなかった。そうして今日程昂奮の後の疲労を感じた日はなかった。二時半過ぎた頃でもあったろうか。「二人だけ生きる生きる」「あとは皆死刑だ」「あゝ二十四人!」そういう声が耳に入っだ。「判決が下ってから万歳を叫んだ者があります」と松崎君が渋川氏へ報告していた。予はそのまゝ何も考えなかった。たゞすぐ家へ帰って寝たいと思った。それでも定刻に帰った。帰って話をしたら母の眼に涙があった。「日本はダメだ。」そんな事を漠然と考え乍ら丸谷君を訪ねて十時頃まで話した。
夕刊の一新聞には幸徳が法廷で微笑した顔を「悪魔の顔」とかいてあった。
  • 1月19日 雨 寒
俄かに涙が出た。「畜生!駄目だ!」
朝に枕の上で国民新聞を読んでいたら俄かに涙が出た。「畜生!駄目だ!」
そういう言葉も我知らず口に出た。社会主義は到底駄目である。人類の幸福は独り強大なる国家の社会政策によってのみ得られる、そうして日本は代々社会政策を行っている国である。と御用記者は書いていた。
桂、大浦、平田 小松原の四大臣が待罪書を奉呈したという通信があった。内命によって終日臨時閣議が開かれ、その伏奏の結果特別裁判々決について大権の発動があるだろうという通信もあった。
前夜丸谷君と話した茶話会の事を電話で土岐君にも通じた。
  • 平出 修宛啄木書簡 明治四十四年一月二十二日
特別裁判の判決についてはさぞ色々の御感想もあらせられる事でせう。是非それも伺ひたいと思つてゐるのですが。--僕はあの日の夕方位心に疲労を感じた事はありませんでした。さうして翌日の国民新聞の社説を床の中で読んだ時には、思はず知らず「日本は駄目だ」と叫びました。さうして不思議にも涙が出ました。僕は決して宮下やすがの企てを賛成するものでありません。然し「次の時代」といふものについての一切の思索を禁じようとする帯剣政治家の圧制には何と思ひかえしても此儘に置くことは出来ないやうに思ひました。(中略)
今の時代が如何なる時代であるかは、僕よりもあなたの方がよく御存じです。この前途を閉塞されたやうな時代に於て、その時代の青年がどういふ状態にあるかも、無論よく御存じの筈です。さうしてこの時代が、然し乍ら遠からざる未来に於て必ず或進展を見なければならぬといふ事に就いても、あなたの如きはよく知つて下さる人と信じます。さうして又あなたは、僕の性格と、この頃の傾向についても知つてゐて下さる筈です。既に今の時代が今のやうな時代で、僕自身は欠点だらけな、そのくせ常に何か実際的理想を求めずにはゐられぬ男であるとすれば、僕の進むべき路が、.君子の生活でない革も、純文学の領域でないことも略明白だらうと存じます。(未だ言ひつくさず)/もうこれだけでお察しの事と存じますが、つまり僕は、来るべき時代進展(それは少くとも往年の議会開設運動より小さくないと思ふ) に一髪の力でも添へうれば満足なのです。添へうるか何うかは疑問だとしても、添へようとして努力する所に僕の今後野生活の唯一の意味があるやうに思はれるのです。
僕は長い間、一院主義、普通選挙主義、国際平和主義の雑誌を出したいと空想してゐました。熱しそれは僕の現在の学力、財力では遂に空想に過ぎないのです。(言ふ迄もなく)。且つ又金があつて出せたにした所で、今のあなたの所請軍政政治の下では始終発売を禁ぜられる外ないでせう。
以上、伊豆利彦氏のホームページの掲示板に2005年1月当時に掲載された分を使用しました。