月別アーカイブ: 2006年1月

永積安明:徒然草を読む

ゲット価:100円

男というのは、どうやら過去にこだわりながら生きて行く動物であるようだ。「歴史は所詮、思い出である」と小林秀雄が言ったように覚えているが、この言葉は、男により多く当てはまると思う。自分の人生の中で上り詰めた至福の過去が心に刷り込まれ、その思い出と現在の境遇との落差に耐えて日々の生活を送ってゆく。時には、他人との会話の端々に、もっと積極的には、「心にうかぶよしなし事」を書き綴ってゆく形をとる。

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一海知義編著:続漢詩の散歩道

400円で、ゲット。 1976年11月 日中出版 絶版

←ただし「漢詩の散歩道」へのリンク

 その時分は、それほど中国やその文化に関心はありませんでしたが、学生時代に、なかば友人への義理で(^^ゞ「日中友好新聞」という機関紙を購読していました。中国の「文化大革命」は一段落してはいましたが、中国指導部の「政治路線」への評価もまちまちで、発行元の日中友好協会はどちらかといえば、批判的な立場をとっていました。毎号毎号丹念には読んではおらず、連載の「漢詩の散歩道」も記憶から遠のいていました。その中で、覚えているのは、時の首相、故田中角栄氏が日中国交回復で北京入りした時のまがい物の「漢詩」の論評でした。格言や古典などから我田引水的に引用する今のコイズミくんと似てなくはありませんが、平仄もわきまえず自作を披露する角栄君のがむしゃらさの方が「愛敬」があるのかもしれませんね。
 この「続漢詩の散歩道」は、機関紙連載分の単行本化の第二冊目、中国文学を専攻する一海先生をはじめとする諸先生のきままな漢詩の紹介、いまなら「漢詩ブログ」とでも名づけたい読み物です。載せられた漢詩も、古くは中国最古の詩集「詩経」や、現代(に近い)中国の郭沫若氏、日本では、良寛や河上肇などなど実に多彩です。その中から、特に印象に残った漢詩を二つ三つ…

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あのくすりあげてん!—診察でのギャグ集(その 4)

 インフルエンザも、すこしづつ広まってきているようです。保育所、幼稚園、小学校というより、中学校以上、とりわけ成人での流行が目立ちます。高齢者で、インフルエンザにかかった場合、重症になる事もあり、警戒し診療に当たっています。そんな時が、タミフルというインフルエンザウィルスの増殖を抑える薬の出番だと思っています。

(そのタミフルを処方したNさんに)
—熱下がりましたか?くすりはちゃんと 5日間、飲みましたか?
—せんせ、あのくすりあげてん。そやからのんでへん。
—あんな、いくら、Nさんが親切で、他の人がインフルエンザでしんどがはったても、その人に、薬をやったらあかんがな。
—そんなことしてまへん。そやから、あげてん。
—あんな…
(看護師が、横から)
—先生、薬飲んで、あげはった(=嘔吐)のとちがいますか?
—ん、げーしたんか、そりゃ薬を中止しやんとあかんな〜。


加藤周一+一海知義:漢字 漢語 漢詩


また、加藤周一さんがらみの書籍である。以前、石川丈山という江戸時代初期の漢詩人を紹介したが、彼が時の朝鮮使節と京都で応対したときは、筆談でしたそうである。また、彼の漢詩集を使節に贈呈したりもしている。このように、「漢語」というのが、中国、朝鮮、日本という東アジア文化圏での「共通語」であった時期も過去にはあった。その近隣諸国との軋轢が表面化している現在、「漢字」という「共通文化圏」の時代に今のままでは、戻ることもできないとは思うが、ひょっとしたらそうした事も可能であると二人の話が広がる。

復古調を推進する団体の主張に「中国語は、過去、現在、未来の時制もなく、非論理的で、幼稚だ」というのがあったと聞く。じゃあ「主語もない日本語はどうなんだ」と思ってしまうが、日本人は読み下し文などを使って大陸からの文化受容にあたってきた。もう一度、こうした「伝統」を継承してゆく時期になっていると感じさせる対談であると感じた。


後藤田正晴 語り遺したこと


最近、在宅の患者様で、Sさんの様態が心配である。往診にうかがうといつも、いろんな本に目を通されていた。入退院を繰り返しながらも、もう一度自宅に戻って、好きなロシア民謡などのCDを聞きたいとその都度、驚異的な回復を見せられてきた。戦前は、反戦の節を曲げられず、エスペラント運動に携わっていた友人を助け、絶えず特高の監視下におかれていたという。明治の末年生まれのSさんも今年で、95才。今回の発熱も何とか持ち直してほしいと思っている。そんなSさんの最近の読書は、加藤周一さんの評論や座談集である。思わず、往診の場で「立ち読み」してしまったのが、岩波ブックレットで出ている加藤周一さんが昨年 9月に亡くなった後藤田正晴氏との対談である。

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坂口安吾「復員殺人事件」

角川書店, 1977.10 , 309p. 角川文庫絶版

以前はよく「車中読書」には、推理小説を読んで、長編なら、数日のうちに、短編なら、その時の「犯人あて」に興じていました。英米の「古典」では、当方の稚拙な推理では「歯がたたない」ものばかりでしたが、肩透かしを食っても、その事がかえって楽しませてもらった読後感でした。残念ながら、日本の推理小説、とりわけ戦前の「探偵小説」や現代の「新本格」では、設定がおおげさで鼻につく事が少なくなく、敬遠していました。その中では、坂口安吾の「不連続殺人事件」は、謎解きもすこぶる現実的、論理的であったことを覚えています。そのせいか、「犯人あて」とその過程の立証は当たった数少ない推理小説でした。坂口安吾は、以前、「一日一言」という岩波新書に、

 法隆寺も平等院も焼けてしまって一向に困らぬ。必要ならば、法隆寺をとりこわして停車場をつくるがいい。我が民族の光輝ある文化や伝統は、そのことによって決して亡びはしないのである。

という一節があり、いささかブッソーな事を言う作家だという印象を持っていました。1942年当時の発言だそうで、考えれば、「軍国主義」一色だった時代の非合理に対して、合理主義、現実主義者としての彼独特の精一杯の抵抗とも取れます。そんな、暗い谷間には、英米の「本格派探偵小説」を読みふけっており、その延長線で、終戦後、推理小説として長編二作と若干の短編を書いています。

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南木佳士「医学生」


【以下は、西成医療生協機関紙「さわやか」に掲載した文章です。】

古くは、チェーホフ、森鴎外、現代に至っては、 の加藤周一氏まで、文学者を兼ねる医者もかなりおられる。南木佳士氏もその一人で、さすがに扱うテーマは「現代的」であり、それだけに身近に感じることが多い。この作品は、ちょっと医療の面でも、スランプに陥った時に、自分の青春時代を思い浮べて書かれたようで、そんな気持ちもよく分かる。とある田舎町の新設医大に学ぶ四人の医学生が未来の医師として、そしてなにより人として成りたってゆくエピソードが綴られてゆく。改めて読み返し、彼、彼女らの思いや目線は、民医連、医療生協の、ともに日本の医療を担っていこうとする医学生への呼びかけと多くの点で共通するものを感じた。

チェーホフは、「医学は正妻、文学は愛人」と言ったそうだ。南木佳士氏は、最近まで、「二足のわらじ」を精力的にこなしておられたそうで、そんな氏の小説を読むにつけても、正妻はけっして悪妻とは思わないが、とうとう愛人を持てなかった我が身をちょっぴり嘆いたりもしている。


司馬遼太郎「街道をゆく〈20〉中国・蜀と雲南のみち」


【下記は、「十年一覺蒼穹夢」と医療生協機関紙「さわやか」に載せた文章を改めた文章である。】

昨年(2005年)の総選挙の結果、「小泉劇場」は終幕を迎えつつあると思っている。そんな事を考えていた頃、赤旗新聞の文化欄(2005年 9月22日付け)で、注目したのは、「ことば」をテーマにした「朝の風」という文化コラム欄での「司馬遼太郎の問いかけ」と題した次の一節の引用である。

——が、侵略した、ということは事実なのである。その事実を受け入れるだけの精神的ないし倫理的体力を後代の日本人はもつべきで、もし、後代の日本人が言葉のすりかえを教えられることによって事実に目を昏(く)らまされ、諸事、事実をそういう知的視力でしか見られないような人間があふれるようになれば、日本社会はつかの間に衰弱してしまう。——

シリーズ「街道をゆく」の「中国・蜀と雲南のみち 」からだそうだ。司馬遼太郎は満州に「出征」するが、直接、当時の日中間の軋轢(あつれき)体験はなく、贖罪感(しょくざいかん)で中国の人事に触れたことはないと断っての文章である。これを読んで、ふと「漱石」を感じた。そう、「三四郎」での広田先生の言である。

 三四郎は日露戦争以後こんな人間に出会うとは思いもよらなかった。どうも日本人じゃないような気がする。
「しかしこれからは日本もだんだん発展するでしょう」と弁護した。すると、かの男は、すましたもので、
「滅びるね」と言った。——熊本でこんなことを口に出せば、すぐなぐられる。悪くすると国賊取り扱いにされる。三四郎は頭の中のどこのすみにもこういう思想を入れる余裕はないような空気のうちで生長した。

主人公三四郎が、熊本から上京する汽車の中で様々な人間に出会う「三四郎」の冒頭は、小説の導入部としても秀逸と思うが、その中での、広田先生に出会い、カルチャーショックを受ける場面である。

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いくねさんへおまいり?—診察でのギャグ集(その 3)

 正月休みの間、在宅(往診)の患者さまはそれぞれにお元気でほっとしている。年あけての初めての往診である。

—今日は血圧がすこし高いやん。何かしゃあはったん?
—近くの生根いくね神社にお参りにいってきましてん。
—この寒いのに、よくいくねー。
(との駄じゃれは受けず、もういっちょ)
—寒い日に出歩くのは、いくねー、いぐねー、えぐねー。
(これも受けないようで(^^ゞ東北弁をネイティブの方、ならびに生根神社関係者のみなさん、他意はありませんが、ごめんなさい(__))


小児科ブログを開始します

 小児科ブログを開始します。ご存知だろうと思いますが、最近流行のブログとは、ホームページ上で公開される「日記」のようなものです。当方の事情で言えば、年取ってくると体系的に物を書くのが苦手になってきています。日ごろ感じる「よしなし事」を「徒然なるままに」時々のひまに任せて書いてゆくようなこうした形式が好まれるようになりました。ま、そのことはともかく、第10回全日本民医連小児医療研究発表会の企画を作るうえでも、日ごろ小児医療の現状に心痛めているみなさんの率直なご意見を表明する場としても、このような場があればと考えている次第です。西成医療生協でのブログを、「Blog 照る日曇る日」として、開設していますので、参考になさってください。

 話題の種類(カテゴリー)として、あらかじめ用意をしましたが、このほかに希望するカテゴリーがありましたら、お知らせください。

 あまりむつかしく考えないで、みなさんこぞって投稿してください。

【2007年 4月附記】結局、小児科ブログは、三編書いただけで中止することになった。先走りしすぎたかな?