月別アーカイブ: 2006年2月

イナバウアーだ!

 トリノオリンピックもようやく終りに近づき、朝方までテレビを見ていた患者さまも、日常の生活リズムを取り戻しつつあるようです。特に女子フィギュアでの荒川静香さんの活躍の朝にはその話題で持ちきりでした。氷の上でのあの美しい動きは、血のにじむような練習を積み重ねて、普段は意識しませんが、人間の体が本来持っている潜在的な反射を組み合わせて出来上がるのでしょう。土曜日のエキヒビションを見て、ふと赤ん坊が出生から約一年間でひとり立ちできるまでの実にダイナミックな変化をとげる発達の過程を思い浮かべました。

 乳児健診では、二足歩行に至るまで、赤ん坊の中に芽生えつつある能力をチェックします。早くは新生児期に、体を支え前のめりにすると、足を交互に前に出す「原始歩行」から、6、7ヶ月児には、体を横に傾けると頭部だけは垂直になる「視性立ち直り反射」、8、9ヶ月以降には、体全体を前のめりにさせると両手を広げて支えようとする「パラシュート反射」など、どれも二足歩行の準備の能力とされています。

 今日も、乳児健診で、このような反射を診ていると、すこし体重のある赤ちゃんだったので、上に持ち上げるときに上半身を後ろ向きに反らしました。思わず、「イナーバウアーだ!」と言うと母親は笑みを浮かべます。当方は、赤ちゃんを落としはしないかと必死に踏ん張ったので、痛めた腰をさすります。(^^ゞ


京都生活協同組合編:デルタからの出発

―生協運動と先覚者 能勢克男

 イギリスの消費組合が、呱々ここのこえをあげて以来一二〇年以上もたっています。そのときからの、すでに古典的なひびきのあるスローガン――「一人は万人のために、万人は一人のために!」というコトバの意味するものは、一片の理想であり、また一つの擬制(フィクション)にすぎないのでありましょうか。
それはたしかに、この上もなく望ましいことであると同時に、一二〇年前も、もっと以前も、いやいつでも現実には、そうたやすくは問屋が卸してくれない悩みにみつたことです。いや、その悩みは人類の歴史とともに絶えることがなかったことに帰するのです。
人々は、たがいに緊密につながり合うべきもの、結びつくべきものでありますが、そうはいかない。恋人は結びつくべきでありますが、そうはいかないところに、失恋、離婚、心中、失踪、または自殺がおこり、労働者と農民とは提携すべきであるが、そこにさまざまの分裂、反目、敵視がおこっています。
「万国の労働者よ、団結せよ!」とカール・マルクスが結論づけてからすでに一世紀以上であるのに、中国とソヴィエト・ロシアのプロレタリアはいまだに、充分な親和に達せず、昨年はウスリー河畔に干戈かんかのひびきさえもきこえかかった悲しむべき事実があります。
平和と社会主義の達成は、それほどにとおいのぞみうすいことでありましょうか。
結びつくべきものが、結びつかない。結びつくべくして、結びつかない。たがいに触手をふるわして、待ち望みながら、いまだにその約束の時に達しないと見るべきでしょう。
ただ私は、そこにこそ、私たちのたたかいがあるのだ、と思います。生まれかかっているもの、すでに陣痛を起こして、悩みつつあるものをたすけおこして、新しい生をとり上げる、それは産婆さんのような役目である、と私は思うことがあります。

生活についての苦しみ、悩みは万人につながります。いま、たたかいの現場は万人にひろがりつつあり、私たちの生き甲斐もまた、決して私たち一人でとどまることのないものだという信念が、深いところで湧いて、あのスローガンの実現は、たたかいなしには果たせないと思うのです。

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青山光二:吾妹子哀し



吾妹子哀わぎもこかなし」と万葉風のタイトルがついているのは、現役最高齢作家の青山光二さんの、アルツハイマー型認知症の妻を介護する夫の物語。短編小説を対象とした、2002年度の川端康成賞を受けたそうだ。
 2004年度・上半期の芥川賞は、モブ・ノリオ「介護入門」になり、話題を呼んだが、フィクション、ノンフィクションを問わず、介護をテーマにした作品は増えてきている。けっして十分でない制度の下で、現代社会では、介護が人間的な営みとして大きなウェイトを占めてきているからだろう。この小説では、デイケアやショートステイなどがストーリーの背景は出てくるが、介護をめぐる社会的な問題を直接訴えるわけではなく、淡々と妻との日常を描く。妻の「忘却」を夫の「思い出」で補おうとする老夫婦の一つの「愛の形」である。そしてその事がかえって、人が人を介護する本質的な部分を示しているように思う。診療所には、夫が妻を介護するケースの方が幾人か来られる。その方々の日常をふと思い浮かべた。
「介護」はこのように極めて個人的でかつ人間的な領域でもある。そうであればこそ、しっかりとした社会的な支えが必要であるし、コストを気にせず、お二人が静かな時間を持てるようなケアプランを作るのは私たちの仕事の大きな喜びである。しかし、この 4月から、介護保険の制度が大きく変る。残念ながら、介護を必要とする方々へのサービス切捨てという性格になっている。介護する側が、単に物理的な面に汲々とするなら、小説のような夫婦の思い出を共有しながら語り合う場が失われることに心が痛む。


沖縄からの手紙

以下の文章は、西成医療生協あてにメールで送られてきたものです。趣旨を考慮し、ほぼメール原文通りに掲載します。

大阪の★遊牧民★と申します。
私も参加している「草の根メディア9条の会」のジャーナリスト近田洋一様よりの緊急の訴えです。多くのMLやHP,ブログなどに流してください。マスメディアにも可能な限りお知らせ願います。

このメールは「平和の井戸端会議ML」「市民社会フォーラムML」「クシニッチML」 「劣化ウラン廃絶キャンペーンML」「非戦通信ひろばML」「平和への結集ML」「日本共産党中央委員会」にBCC配信しております。それぞれのML等の主旨に合致しない点はお詫びいたします。

【以下転送・重複ご容赦】    全文転送転載可
皆さまへ。訴え       沖縄版アブグレイブ事件

辺野古海上基地建設現場で起きた米兵による屈辱的犯罪行為に対する抗議 とメディアの報道を

近田洋一(ジャーナリスト・在埼玉)

沖縄県辺野古海上基地建設現場で起きていることについて、あなた(貴団体)としてできうることをしてください。
初めて事件を知ったのは知人のジャーナリスト・森口豁(かつ)氏の次の発信です。
「信じられないようなことが辺野古で起きた。本土(広島)から辺野古の浜を訪ねた一 人の青年が、3人の米兵に小突き回されたり、四つん這いにされたうえ、浜を断ち切る有刺鉄線に結わえつけられた平和を願うメッセージを取り除くよう強要されたという。1月22日午後7時頃のことだ。」

僕は驚愕し、仲間に報告、現地と連絡を取り、次のことを確認しました。
1) 事件は、フェンスのこちら側(民有地)で起きた。報じたのは沖縄2紙と地元放送局だけ
2) 那覇防衛施設局は抗議文書の受け取りを拒否、米軍は「事件はなかった」と全面否定
3) 所轄の名護署は告発の受け取りを拒否していたが、2月に入ってようやく受理
4) 抗議行動は続いているいが、本土メディアは依然無視の状態。

僕はイラクのアブグレイブ刑務所で起きたレイプ・恐るべき屈辱的な暴力を想起します。同時に本土メディアの対応はイラクで起きた香田さん事件のような冷酷さ(ひどい バッシング)と同質のものを感じます。メディアの隅に身を置く者として言いようのない恥ずかしさを覚えます。沖縄現地はこの事実を本土が知ることを訴えています。僕たちは、こちらの仲間と相談して森口記者の通信を添付し、先輩、仲間、親しい友人である皆さまが、次の行動を取られるよう、呼び掛けることにしました。
1) 家族、知人に話してください
2) 可能な限りメールを転送して呼び掛けを
3) メディア に関わる仲間、組織は同僚メディアに対して事件を取り上げるよう、最大限の働きかけ(なすべき当然の圧力)を!
本文(事件内容)は一部、既に発信済みですが、その後の経過(現状)もありますの で、重複を承知で、あらためて送信致します。以下、前文以降の森口記者からのアピールです。

1月31日発 辺野古で起きたこと

森 口 豁

アピール(抗議文)と、基地反対協議会の平良夏芽さんからのメールを読むと、青年が受けた心の傷の大きさと、沖縄米兵の占領者意識の、のっぴきならない激しさをひしひしと感じる。
二人のメールにはこうある(一部略)。

〈平良さんのメール〉
『今朝、弁護士と共に本人からの話を、現場をたどりながら聴きました。1時間以上に渡って、こづき回され、他の人が書いてあった「普天間基地はアメリカに持って帰れ」というメッセージを四つん這い状態で消させられ(膝をつくと、背中を押され再び四つん這いにさせられたそうです)。またこれも他の人が結んでいた平和のメッセージリボンをはずさせられ、最後には、砂の上に「SORRY」と書かされた屈辱は、相当のものです。彼は「自分はあきらめても、他の人が同じような目にあうことは許せない」といっています。しかし、今後のこともあるので取り敢えず匿名で本人の抗議文を関係各所に突き付け、その動向を見ながら、本人が表にでるかどうか判断するそうです』

〈Hさんのアピール〉
『今回、私が被った事件は絶対に許せないものです。私は沖縄のことを知らずに旅をしていたものです。那覇に立ち寄った時に、辺野古に関連するチラシをもらいました。そして、辺野古まで来ました。辺野古に着き、辺野古の浜辺に有刺鉄線が引かれ、砂浜が基地に奪われているのを見てとてもショックでした。そして、それを知らない多くの人達に知って欲しいと思いました。その有刺鉄線には「基地は要らない」というたくさんの人達のメッセージや思いが、リボンに書かれてしばってありました。 米兵は私に対して即リボンを引きちぎるように命令し、強要しました。私は多くの願いが込められたリボンを引きちぎる行為を許すことは出来ません。そして私自身がその行為を強要されたことに強い怒りを感じています。
私は私が米兵にされたことを皆さんに訴えます。TVには写らない沖縄があるということを、沖縄の現状は、60年続く戦争状態にあることを、日本中が戦争状態にあることを。このことを 知らない多くの人達に知って欲しい。
沖縄は(日本に)返還されたと聞きました。しかし、私が見た沖縄はいまだに植民地状態にあります。こういう状態を多くの人々が 知らなければとこのようなことが起こらないために』

なんと不気味な事件だろう。米兵の憎悪の激しさとその陰湿さ、執拗さは尋常ではない。イラクやアフガン体験が、彼らの精神を荒廃させ、人間性を喪失させているのだろうか。しかし例えどのような理由であれ、このような行為は絶対に許せることではない。気になることが3つある。その一つは、今回もまた犯人が「3人」だったこと。95年の少女暴行事件も「3人」だった。他にも3人組による事件はあった。
「3人は社会の始まり」という。人間3人一緒なら理性を働かせる者が一人ぐらいはいるのが普通だ。ところがそうはならない。僕はそこに沖縄の闇の深さを感じる。二つ目は、アメリカ人、とりわけ兵士たちの対日意識の問題。彼らの心の中に「ブッ シュと小泉」のような“従属関係”、つまり「日本人は何もかもアメリカに従うもの」だとする共通認識がめばえているのではないか、という点だ。だとすれば、日米同盟の悪しき終着点、というべきだろう。コトは深刻だ。
そして3つ目はマスコミ の問題。今度の辺野古の事件を僕は沖縄からのメールでしか知ることができなかった。本土のマスコミでは報道されていないからだ。いったいなぜ報道しないのだろう。

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とまって、またうごいてん―診察でのギャグ集(その 5)

 この数日は冷え込んできましたが、すこし暖かい日もありました。そんな日は、診察室の背後の窓から陽の光が差し込んできます。

―あっ、とまって、また動いてん。
―えっ、あんたの心臓は、時々そうなんか!
―?
―すぐに、シンゾーのちゃんとした検査、せなあかんがな。病院に今紹介状書くから…
―ちゃうちゃう、窓の外のすずめの話や。電線に止まって、また動いて飛んでいきよった。
―えー、脅かさんといて、こっちの心臓が止まるわ!

 背中に暖かさを感じ、ちょっといい気分の矢先、Nさんの聴診を終えようとした時の会話でした。ふりかえると、もう窓の外には雀はいませんでした。


南條範夫:細香日記


100円でゲット。

南條範夫「細香日記」

南條範夫「細香日記」

本場中国でも女流詩人の数は少ないが、唐の時代の魚玄機(森鴎外に、「魚玄機」という作品がある)をはじめとして名を知られている例は、いくばくかはある。
かたや本邦では、中里介山の「大菩薩峠白雲の巻」に、「婦人にして漢詩を作るということは、極めて珍しいことに属している。文鳳ぶんぽう細香さいこう采蘋さいひん紅蘭こうらん等、数えきたってみると古来、日本の国では五本の指を折るほども無いらしい。」とある。うち、文鳳は不明だが、細香、采蘋、紅蘭は、いずれも江戸後期の女流詩人である。どうも、その時代には、女性をも漢詩に向わせるような気運が熟していたようだ。細香は、本名、江馬多保(1787-1861)、美濃大垣藩々医江馬蘭斎の娘であるが、いわずとしれた頼山陽の愛人であった女性である。(森鴎外の「伊沢蘭軒」は、山陽の放蕩と脱藩の末の幽閉のことが冒頭の書き出しである。)
山陽との結婚話もあったようだが、結局生涯独身で暮らし、山陽死後も愛情を心に秘めていたらしい。文久元年(1861)という幕末風雲を急を告げていた時代、七十五歳で亡くなった女史晩年の作、

自画に題す
孤房に筆をらうして 歳年移る
一たび生涯を誤らば 何ぞ追ふべけんや
いささか喜ぶ 清貞 かれと似たるを
幽蘭 秀竹しゆうちく 寒姿を写す

にもどこか山陽の面影をただよわせる。

島崎藤村は、ふるさとが細香の大垣と近いせいか、「山陰土産」で、

頼山ママ篠崎小竹しのざきせうちく、それから江間細香えまさいかうのやうな京都に縁故の深かつた昔の人達の名をかうした温泉地に來て聞きつけることも、何とはなしにゆかしい。

と書くが、「むしとりあみ」(現在休止中)的には、江間は許容できるにしても、山道は、山陽に改めるか、ママ表記すべきであろう。

【参考図書】富士川英郎「江戸後期の詩人たち」(筑摩叢書)絶版 ISBN:4480012087


保育所での豆まき―鬼こわかったよ!

 昨日は、節分、保育所での豆まきの様子を、診療所へ来たちっちゃなお友だちはさっそく知らせてくれました。

―おにのおめんつくってん!
―おめんをほいくしょのせんせ、かぶらはって、「おにはそと」いうてまめなげてん!
―そしたら、おにが「ガオー」いうておいかけてきてん。
―おにこわい~いうて逃げてん。(と、思い出し泣きする)

 病院勤務時代に、病棟の豆まきの行事のときに、趣向を凝らしすぎて、秋田の「なまはげ」のお面をかぶって鬼役になったことがありました。子どもたちは血相変えて投げる豆の痛い事、そんなことをふと思い浮かべて、聞いていました。


NHK ためしてガッテン「警告! インフルエンザ 誤解と新常識」

 メーリングリストで紹介されたので、NHK ためしてガッテン(2006年 2月 1日放送)を見ました。

 高熱がなくとも、インフルエンザ罹患はありうるという日頃診療にて感じていることを再確認しましたが、全体としてはやや平板な内容でした。短い時間でいろいろな情報を伝えるのは難しいとは思いますが、ともかく、熱など症状を抑えなければとしてタミフル使用が前提という立場であるかぎり、公的に報告されている副作用には簡単にしか触れざるを得ないのでしょう。
番組の最後に、インフルエンザの予防には、ウィルスの突起部分を切断し、増殖を促進させるという、歯周病菌のプロテアーゼ活性を抑えるために、口腔ケアが大事であるとあり、興味を引かれました。さっそく、在宅での高齢者への取り組みを、親しくしている歯科医と相談しなければ…

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インフルエンザに効く薬―タミフルについて

 成人から始まったインフルエンザの流行は、中学生、小学生を経て、乳幼児にまで広がってきました。そこで、親御さんの関心は、インフルエンザに効くとされるタミフルという薬になってきています。世界的な新型インフルエンザ(鳥インフルエンザの人から人への感染)が懸念される中、マスコミなどでもタミフル備蓄のことが取り上げられているので、例年になく関心が高いと感じていますし、子どもがインフルエンザと診断されるとすぐにタミフル投与を希望される親御さんも多く見受けます。熱で苦しんでいる子どもを見てのやむにやまれぬ親心だと受け取っています。
 しかし、ちょっと待ってください。もう一度、病気や薬の基本に返って考えてみたいと思います。インフルエンザは、たしかに通常の風邪と違い、熱の期間も長めで咳などの症状もきついことも事実ですが、やがては体内の抵抗力=免疫の力で治ってゆきます。タミフルの効果として分かっているのは、ウィルスをやっつけるのではなく、せいぜいウィルスが体内で増えるのを抑える作用で、実際には、熱の期間を一日程度短くできるということです。しかも、昨年秋に、アメリカ食品医薬品局(FDA)や日本の日本小児感染症学会では、タミフルの重大な副作用が報告されました。何も余病=基礎疾患のない成人や小児に、安全性で疑問のある薬をのべつ幕なしに投与するのは慎重でありたいと思っています。こうした事を相談しながら、患者様、ご家族様の合意のもとで診療に当たりたいと思っていますので、よろしくお願いします。

【参考】タミフルって大丈夫?(「いつでも元気 MIN-1REN 2006・2」から)