月別アーカイブ: 2006年3月

インゲ・ショル:白バラは散らず


 映画「白バラの祈り」を観てきました。ナチスドイツ時代に、ヒットラーの独裁に反対し、白バラ通信というビラを普及することで、反ナチス運動を組織しようとしたが、ビラをまく時に発覚、死刑に処されたミュンヘン大学医学部学生などの運動を「白バラ」と言います。映画では、医学部生だったハンス・ショルの妹ゾフィーを中心に逮捕から処刑までの五日間を淡々と描いておりなかなか見ごたえがありました。
 当方も同じ医学生だったからでしょう、若かりし時に「白バラ」運動をはじめて日本に紹介することになったショル兄妹の姉による「白バラは散らず」を読み、心高ぶった思い出があります。日常生活では「事なかれ」的にすごそうと思うほど楽な事はないかもしれませんが、ぎりぎりの所で、巨悪に対して「ノー、それは違う」と言い続ける気迫は彼らから学び続けたいと改めて思っています。


今日の診察は手抜きや!―診察でのギャグ集(その 7)


 二日ほど前は、「寒の戻り」というのでしょうか、雪もちらほら、朝通勤しようとすると家の周りはうっすら雪化粧(右写真)、公園の雪道を踏みしめながら、駅まで向かいました。
 特に朝方は冷えたようで、血圧を測るには、ちょっと邪魔な、ゴツデのジャンバーやコートなど着ている患者様が多かったようです。

―このジャンバー脱ごか、邪魔くさかったら、手だけ抜くのでもいいよ!今日は手抜きや!
―そんなこと言わんとちゃんと診ておくなはれ!
―いつもちゃんと診てるがな。ん、診察は手抜きちゃうちゃう(^^ゞ

 このブログもいささか「手抜き」だったりして…


いさんありまんねん―診察でのギャグ集(その 6)

診察も終わり、薬の処方をカルテに書く時に、

―わて、いさん、ぎょうさんありまんねん!
―(急に欲どしい顔つきになって)Kさん、そんなに気使わなくてもええよ。そやけど、いっぺん家に行かないかんな。
―?
―株とか不動産とか、いっぱいあるんか?
―??
―だいいち、遺言を書かないかんような重い病気はないよ!
―せんせ、いややわ。薬の「胃散」がぎょうさん残っていると言うてるんや。わて、財産あるような顔してるか?
―(何事もなかった顔に戻りながら)そやろな、そんだら、「胃散」抜いて処方しとくからな。お大事に!


野にすみれが自由に咲く時である

「中井正一『土曜日』―1930年代、良心のブログ」(その 3)です。

以前紹介した、1930年代、良心のブログ、中井正一『土曜日』から、69年前の今日の日付のある文章をお届けします。

昭和十二年三月五日

一日一日、野も山も、草も木も、その装おいを変えている。
何人が此を止め得るか。止め得ようもない静かな力が、物の秩序の中に自らを押進めている。
星の移りに驚きの眼を睜り、四季の変りに怖れを抱いた原始人の畏敬は、物の秩序の動かすべからざる厳しさに端的に向った心持である。
人間は、生きるという大きな不思議を、この物の秩序の中に読取ろうとしたのである。物の秩序の上に、生きる秩序を築こうとしたのである。自分の秩序を、或は謬り、その謬りをはずみとして、新しい真実の中に、自らを押上げ、試み、切展いて行く新たな行動としての秩序を創造しているのである。一本の菫が星よりも強いのは、それが野に生えて来る秩序を自らで創っているからである。
それが生きていることの誇りであり、尊厳である。
しかし、人間は今、人間の秩序を放棄している。
弾丸の弾道の秩序の精密な研究は、人間の智力の究めたところである。しかし、その弾丸の落ちて行く目的地は、砕去る相手は、人間と、人間が永く築いた、人間の秩序である。凡ての秩序が何物かの奴隷となっている。花に対して、星に対して、弾道の秩序に対してさえも、恥しいのは人間である。
ロマン・ローランは、一九一四年、十二月四日、フランスに書き送った。「私はもはやフランスの知識階級を誇りとしない。思想界の指導者達が至る処で衆愚に降伏して行ったあの信ずべからざる程の弱さは、彼等が背骨を有しないものであることを十分に証明した。……」
そして、彼等を弱くする、魂に抱く、イドラを粉砕するものは誰か?
ローランは答える「野に生ゆる自由の董」であると。
日本に生くる幾人の人が、今、この春の光の中に生出ずる自由な董に、恥じずにいられるだろうか。
道路縁に群生

道路縁に群生

イラクで、アフガニスタンで、パレスチナで、いや全世界の地で、おろかな戦さが終り、大地に芽生える自由な菫を愛でながら、春を迎えたいと心から思います。

写真は、Wikipedia から