月別アーカイブ: 2007年6月

我が家で咲いた「のうぜんかずら」

我が家ののうぜんかずら先日、帰りみちで「のうぜんかずら」を見かけたが、我が家の狭い庭に聳え立つ棕櫚の木に蔓を巻く「凌霄花のうぜんかずら」も花をつけていた。ちょうど、満月なので、月と一緒に撮りたかったのだが、非力なデジカメ故、月は「のうぜんかずら」の横に小さな光る点になってしまった。残念…

 


きみの成績、こうじょうせん ― 診療でのギャグ(その 22)

最近は、エコー検査で甲状腺疾患の程度などが、手軽に分かるようになってきた。乳腺エコーと同じプローベ(エコーの先について、皮膚に直接当てる探索子)なので、「乳癌検診」(ただし、公的には乳癌検診はマンモグラフィというレントゲン撮影を用いることになっている)のついでに、甲状腺にもエコーを当てるようにしている。

甲状腺こうじょうせんと言えば、学生時代に学友N君と小児科の卒業試験の勉強をしていたら、「こんどの試験には、甲状腺疾患は出ないと思うよ。」とのアドバイス。てっきりそうだと決め込んで試験に臨んだら、設問の半分は、その甲状腺!後で、教授の前で追試験を受ける羽目になった。なんとか、答えて雑談に及び、そのN君の言を信じたことを教授に言ったら、

ー きみー、小児の甲状腺疾患がぼくの専門だと知らないわけがなかろう。そんなことだから、きみの成績、いつまで経っても、こうじょうせん

とおっしゃったかどうか、残念ながら記憶は定かではない。とまれ、小さな診療所といえども、診断や治療成績が、「向上こうじょう」せんというわけにはいかないので、江馬細香のお父さん、蘭斎先生に見習って勉強!勉強!「甲状腺機能亢進症のエコー上の特徴は以下の通りである。」ふん、なるほどなるほど…


爺は歳八十、眼に霧なし…

日本ペンクラブのサイトに、電子文藝館という、小説やエッセーが載っているページがあります。なにげなく、ながめていたら、次のような漢詩が目につきました。(詠う季節が、ちょっとチグハグなのはご容赦ください。)

 冬夜    冬夜とうや

爺繙欧蘭書  ちちひもとく 欧蘭おうらんの書
児読唐宋句  は読む 唐宋の句
分此一灯光  此の一灯の光を分かちて
源流各自泝  源流 各々 みづかさかのぼ
爺読不知休  爺は読みて むことを知らず
児倦思栗芋  みて 栗芋りつうを思ふ
堪愧精神不及爺  づるにふ 精神 爺に及ばず
爺歳八十眼無霧  爺は歳八十 眼に霧なし

 一九世紀のはじめ頃、美濃の一隅で、一つのランプの光を分けあって、それぞれの勉学にはげむ父と娘。疲れて、ふとおやつがほしくなる娘、しかし、一向に疲れを知らぬ父の姿に畏敬の念を感じて恥じる。

電子文藝館:門玲子「江戸女流文学に魅せられて」

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帰りみちで見た「のうぜんかずら」

のうぜんかずらひさしぶりに、明るいうちに帰路についた。駅を降りてしばらくの家の垣のむこうに、橙色の花が木を伝って咲いていた。しばし、見とれてデジカメを向けていると、犬を連れての散歩中の奥さんに「のうぜんかずらですね」と声をかけられた。実は花の名は知っていたのだが、ちょっと気恥ずかしくなり、「そうですか、のうぜんかずらと言うんですか」と答えてしまった。自宅の家の庭の「凌霄花のうぜんかずら」は、葉のみだが、もう花をつける季節になったんだ。

 

凌霄のうぜんや水なき川を渡る日に 桃隣 凌霄の咲くや田中の薬師堂 露羔ろこう 行水にうつりてあつし凌霄花りようせうくわ 菊陀

杉本秀太郎「花ごよみ」より


生涯に、くひ(悔ひ、句碑)ひとつなし、つるあきら

 ゲット価:100円
【参考図書】新藤謙「国家に抗した人びと」(寺小屋新書)子どもの未来社

国家に抗した人びと鶴彬つるあきらといっても、知らない方が多いかもしれませんね。石川県河北郡高松町(現かほく市)出身の川柳作家、その顕彰碑が大阪城公園の一角に建てられることになったと、本日の赤旗文化欄、岩佐ダン吉(あかつき川柳会幹事長)の投稿記事から知りました。以前、金沢の石川県近代文学館に、鶴彬のコーナーがあり、「手と足をもいだ丸太にしてかへし」の句に衝撃を受けたことがあります。鶴と大阪との関わりでいえば、1926年に、大阪の町工場で働いていたそうです。その頃から色々な思想的変遷を経て、風刺を極端に推し進めた反逆性の強い彼独特の川柳を生み出してゆきます。

稼ぎ手を殺し勲章でだますなり
軍神の像の真下の失業者
血をいて坑をあがれば首を続きを読む


たかが「もうちょう」、されど「もうちょう」 ― 診療でのギャグ(その 21)

 ゲット価:100円

ー A さん、おなかのどこが痛いんや?
ー もうちょっと、左、そう、そこらへんですな。
ー 「もうちょう」で痛い所とはちゃうみたいやし、飲み過ぎちゃうん。
ー そうだっか、もうちょうやったら、もっと右だっか。ま、もうちょっとで、もうちょうとこだっか。
ー そんな、シャレ、言えるようやったら、よけい「もうちょう」は考えられへんな。薬出しとくさかい、今晩はお酒だめやで!

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これじゃ、世界の中心でさけべない…

先日来、腰が痛くて、数日間、キーボードからも離れてブログを 休診 休載していた。別にあたらしもの好きではないが、知人の Windows Vista を横で見ていると、Internet Explore では、先日の、Google Map を使ったページ(世界の中心で愛プランをさけぶ)がエラーになっているではないか?Firefox で見られるのでいいか、と思ったが、ブラウザシェアがダントツの IE 故、色々訂正を加えた。このまちサイトにも、2、3 Google Map はめ込み地図があるが、おいおい直さなくちゃ…

でも、Vista の IE7 ってやたらボタンなどが多くって使いにくそう…


松田道雄:結核をなくすために

松田道雄先生の本を書棚の奥から取り出して改めて読んだのは、祇園まつりに触れたふる里の思い出がきっかけでした。

京都には、町医者の良き伝統があったらしく、子ども時代には、幾人かの「名医」に診てもらったと母から聞かされたことがあります。後に京都市長になった富井清先生は、眼科医、学校でトラコーマの疑いがあると言われて診察を受けました。先生が同じ医学部と知ったのは、当方が卒業してからです。連れ合いは、小児科医の松田道雄先生の診療所に通っていたといいます。その松田先生は、まだ結核が国民病と言われた時代、1949年に、この本、「結核をなくすために」という岩波新書の一冊を書かれていますが、60年近く経った今読んでも、先生の言葉がなんと瑞々みずみずしいことか!

 どんな軽い病気でも、その前の病人よりも上手になおしてみせようとする医者にとっては「ありふれた」病気というのはありません。たくさんの病人をみたことのある医者が名医なのではありません。千度みた病気にも、はじめてみる病気にも、同じ注意と警戒とを忘れない医者が名医なのです。ひとりひとりの病人にむかって、探求、比量、試行、批判へのやむことのない努力が、医者を「まじない師」や精神療法家から区別します。今日の医学が享受する高さのあるものは、日々の診療のなかに科学者であることをやめなかった医者の創意におうものです。

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紫陽花と人の心も七変化…

 ゲット価:300円

夏もなほ心はつきぬあぢさゐの よひらの露に月もすみけり

今日の赤旗のコラム「潮流」欄に、藤原俊成の歌が載っていた。それによると、紫陽花あぢさゐは、古くから日本土着の花であったようだ。ところが、江戸時代にはあまり顧みられることがなく、現在の紫陽花の様々な品種は、シーボルトによってヨーロッパへもたらされ、品種改良の成果が「逆輸入」された結果であるとのこと。どうも、花の色の七変化が、節操のなさと江戸の人々には映ったとは、柳宗民説だと言う。そういえば、野口武彦は「花の詩学」で、

言問はぬ木すら紫陽花諸茅もろちらが ねりのむらとにあざむかえりけり

と、万葉集に収録された大伴家持の相聞歌をあげている。まさか、花言葉の「移り気」「冷淡」を万葉人が知っているわけはあるまいが、紫陽花の色の変化を変幻極まりない女性の心に例えたことは万葉の昔からあったようだ。(当方それに賛同するわけではないが…( ^_^))

紫陽花の八重咲くごとくつ代にを いませわが背子見つつしのはむ

という橘諸兄の歌は、政治権力に翻弄される己の運命の変転にまで詠嘆が及んでいるという。

玄関先の紫陽花の花「潮流」には、アジサイのように微妙に違う花の色合いを生かし、参議院選挙では、たくさんの花を咲かせる勝利へ!と鼓舞されるが、「紫陽花の花の色の定まるときは、すなわちこの花の散るときだったのである。」(野口武彦)との一節も読み、我が家の玄関先の紫陽花(写真)をみていると、ややメランコリックな気分になるのは、致し方ないか(^^)ヽ。以前、「紫陽花あぢさゐと人の心も七変化(しちへんげ)」との記事を書いたことがあるので、そちらもご覧いただきたい。