月別アーカイブ: 2007年7月

ちびっこファイター、勢ぞろい!

ちびっ子ファイター4人組夕方に別の診療所へ行こうとすると、子どもたち4人が、診療所の車の前で、並んで「戦斗」ポーズ!を取ってくれました。何をやっつけるのかな?病気をおこすバイキンマン?私腹を肥やす「悪徳代官」?世の正義のために、いざ、立ち上がらん!

 


暗香枕に和す、合歓の花

木下杢太郎画「新編百花譜百選」

木下杢太郎「合歓の花」
去年は庭先に合歓の木があり、今頃には花をつけていましたが、今年はどうも枯れてしまったようです。そこで、江馬細香の合歓の花の漢詩と、木下杢太郎画「新編百花譜百選」より、1943年7月30日のスケッチを掲載しておきます。

 

 夏の夜
雨晴れて 庭の上には 竹そよぐ風多し
新しき月は眉の如く ほのかなる影は斜めなり
深夜 涼しきをむさぼりて 窓をおほはず
なやましき香 枕に和す 合歓めむの花

芭蕉の「象潟や雨に西施が合歓ねぶの花」でもそうですが、細香の詩からも、合歓という字には、やや艶かしい響きがあるようですね。また、決して明るい世情ではなかった時代に、杢太郎はどんな思いで合歓の花をスケッチしたのでしょうね。そんな事を思ってみました。


〽困っちゃうな、選挙に誘われて…

二枚の選挙はがき と、今日は、ややカマトト的なタイトルです。ご承知の通り、参議院選挙投票日当日です。実は選挙期間中に当方には二通の選挙はがきが届きました。いまさらの選択ではないのですが、この二枚の葉書を使って、診察に来たお母さんに「どっちにする?」と訴えてみました。もちろん、言いたいことは分かっていただきました。言うまでもなく、「〽困っちゃうな」の歌手が支持する、さる政党にも、「増税の張本人」ですので投票しません。どうか、みなさんの大事な一票、子供たちにとっても、いつまでも平和な世の中でありますよう、高齢者にとっても、安全安心の社会となりますよう、心をこめて、ご投票くださいね。当方は、今度も9条 Tシャツを着て投票に行ってきました。


一本の聴診器から聞こえること…

聴診器「古い手帳から」拾ってきたネタだが、ギャグという性質ではないので、そのまま載せておく。実は、「多田富雄:独酌余滴」はこの文章を思い出して書いたものだ。映画の題名が、二つの文章で違っているが、ちょっと真否を確かめようがない。

まだ聴診器を持ったことのない学生時代に観て印象に残っている映画がある。黒沢明監督の「生きる」(だったか?)で、志村喬演ずる町医者が、若いチンピラ(三船敏郎だったと思う)の胸に聴診器をあてて、「おまえの肺には、親指くらいの結核の空洞がある」と診断を言う場面があり、その医者になんともいえない魅力を感じたものだ。
 それから、数年後に、聴診器を使うことを学び始めた。初めて開く教科書には、聴診器で診断できる病気がたくさん並んでいた。
 聴診器を耳にかけただけで、なんだか自分がすごく偉くなった気がするから幼稚なものである。
「心音は、二つあり、心臓の弁が閉じたり開いたり、心臓の筋肉が縮んだ時に、発生します。心音以外に聞こえる音として心雑音があり、心臓弁膜症や心臓奇形の診断に重要です」
 ふんふんなるほど……
「肺の音は、右と左で聞き比べてください。片方で呼吸の昔が聞きにくかったら、そこに病気があります。たとえば、膿が胸腔に溜まる『膿胸』とか、空気が人り肺を圧迫する『気胸』とか……」
「肺結核の特徴ある音は、ラッセル音です。空洞を作るのは、肺の上の方が多いので、丹念に聴診してください」
 そうか、映画の志村喬医師は、この事をやっているのだな。
 こうして、医者としての『徒弟時代』が始まったが、いまだに、志村喬なみにかっこよく振る舞える能力と自信がない。
 いまどき、聴診器だけで診療する医者なんかどこにもいないというのは、半ば弁解であるが、この四半世紀の間に、ずいぶん医学・医療も変わった。レントゲンはいうにおよばず、CT(コンピュータ断層撮影)やMRI(磁気共鳴装置)で手に取るように病気の状態が分かるようになってきた。自らの経験としても、聴診しても異常のない肺結核や肺炎などざらにある事も知った。適切な時期に適切な検査を患者さんに勧める技量も少しはついてきたと思っている。
 だが、あの映画の町医者に対する『憧れ』だけはすっと変わらない。きっとその医者は、一本の聴診器で、ラッセル音だけではなく、患者の生活からくる悲しみや喜びも聴こえたに違いない。まさか映画を観たときは自分が診療所医師になると思わなかったが、こうした聴診器の使い方ができるかは、今後の私の課題としたい。
 先日の診療で、ある患者さんから、「先生、聴診器で何を聞いているの?」と質問を受けたことから、以上の小文をしたためた。

 


難波での演説会に行ってきました…

 

難波での演説会「時代の風潮にきっぱりと言い切る」という姿勢が今こそ大事であると思っています。でも本当にこうした志を持った政治家は、残念ながらきわめて少なくなってきました。梅雨明けの午後、9条 Tシャツを着て、その名誉ある例外の一つ、日本共産党の難波での街頭演説会を聞いてきました。宮本顕治さんの追悼文の引用にない部分で、加藤周一さんは、演説動画「(宮本さんは)例外中の例外」と書かれたのを受け、いつまでも例外に甘んじるわけではないでしょうが、少なくとも、憲法9条を守り、それを生かした自由で闊達な社会のため、心ある人々を誰一人として例外にすることなく、対話を進めてほしい、そんな勢力になってほしいと心から願っています。というわけで、今日は、いつもの口調とは違う、やや例外的なブログ記事としました。(左下写真は、Avi 動画へのリンクです。)

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「河童忌」から思うこと

今日の赤旗文化欄には、最近、芥川龍之介が、英語圏のみならず、ハングル、中国、ロシア語などへと翻訳の範囲が広がったという関口安義さんの一文が載っていた。これはこれで喜ばしいとは思うが、ここでは、芥川文学が「世界文学」として通用することへのナショナリズムをことさら煽るつもりなどない。また、先日亡くなった宮本顕治さんの「出世作」、「敗北の文学」の結論を借り、「『敗北』の文学を――そしてその階級的土壌を我々は踏み越えてかねばならない。」と、そんな勇ましい言葉を重ねて主張するものでもない。同じ、赤旗の「党活動欄」(あまり、熱心な読者ではないが…)に、「今も大磯のだんな様」として「心から崇敬している」という吉田茂元首相の料理番だった一老人の日本共産党に寄せる思いが掲載されていた。


私は、人間として一番大切なものは「情」だと思っています。しかし庶民から取れるだけ取ってやろうと負担を押し付けている政治がされています。これでは情もへちまもありません。もう一からやり直さなければダメだ。長い間、真っ黒なトンネルからどうしたら抜け出せるかともがいている心境でした。…(赤旗日曜版や日刊紙を読んでみて)すると、真っ黒ななかでポツっと光っているところがある。今から考えると情を持っていたのが共産党だった。…この党に日本をよくしてもらいたいと思うようになりました。

今日、7月24日は、「河童忌」、芥川龍之介の自死から今年は、ちょうど80年に当たるという。芥川にとって、おぼろげながらの想像でしかなかった未来への期待感、その一つの現実がこの中にあるように思えてならない。もし、芥川がこの老人の一文を読んだら、独り意を強くし、微笑んだに違いない。


私はめー医?― 診療でのギャグ(その 25)

診療の合間にギャグを書き留めた、古いノートが見つかりました。あまり、冴えたネタではありませんが、ちょっと再構成してみました。

「めまい」をおこして床についているFさん。眼振(目を動かした時の異常な運動)が少しあるだけで、たいした事はなさそうです。

― Fさん、少し横になっていたら良くなるよ!
― せんせ、目を診たらそんな事、分かるんか?
― そらそうや、何しろ私しゃ、めー(名、あるいは迷?)医やもんな。


学生時代のある演説会を思い出しました…

学生時代、そんなに確固たる政治的な定見が持てなかった時代、たまたま参加した演劇サークルで、「時代の風潮に対して、きっぱりと言い切ることとは?」といったテーマで芝居作りに打ち込んでいました。周囲では、「大学民主化」、「大学解体」、「ベトナム反戦」などのいろんな「党派」のスローガンに騒然としていた時代で、クラス討論や学生大会では「きっぱりと言い切る」ことに躊躇していたそんな毎日でした。宮本顕治さんの話を生で聞いたのは、ちょうどそんな折で、その政治的な演説会では、国の行く末に関して、「きっぱりと言い切」り、かくも明快な展望を持った政治家をはじめてまじかに見た思いがしました。

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