惜敗京都市長選の意味
投票日当日は、京都市から帰省している身内が、投票に間に合うように駅まで送っていったり、在住の知り合いに電話をかけたり…本当に痛恨の敗北で、その悔しさは今も続いていますが、ふと、ネット内のさまざまなブログを読んでいると、次のような記事に出会い、若干感じるところがありました。
「政治的には勝利」したと強弁するつもりはありませんが、今回の市長選の意義は、実は、「革新勢力」が思う以上に、もう少し深い所にあるような気がしてきました。一つには、昨今のあまりにもひどい「新自由主義」的な動きには、はっきり「ノー」と言う力を、故郷の京都の地から実感できたこと。二つには、「やつらを通さない」ためには、過去の一切のしがらみを捨てて大きな力を持たなければと改めて思うこと。ただし、最近亡くなった小田実さんなどの九条の会などの活動を見てみると、「しがらみを捨てた」のは、必ずしも「革新勢力」側ではないのではないかという気もしているのですが…
いずれにしても、今までにないような柔軟でかつ大胆な発想も必要とされているようです。
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今日は、K保育所の入園時の健診です。4月から、新しい生活を始めるちびっこたちが、保育所に集合。パパ、ママも含めて、みんな神妙な顔で、入園説明を聞き入っていました。今を去る、20数年前、当方もこんな時期もあったんだと、ふと感慨にふけってしまいました。

