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晩秋の靱公園へ

晩秋の靱公園午前中の保育所健診が終わったあと、医療生協の野外班会が開かれていると聞いたので、西区の靱公園へ出かけた。結局、班会のメンバーとは遭遇できなかったが、公園のベンチに腰掛けて、しばしの時間を過ごした。この公園のすぐ北側は、京町堀で、亡くなった父親の実家があった所だ。現在はマンション群に囲まれて正確な所在地は分からぬままだが、50年くらい前は、中小の商家が集まったところだった。父の生家は、旧南区の鰻谷で、酒屋を営んでおり、戦時中疎開で京町堀に転居してきたと聞いている。祖父母と父の兄である伯父家族が住んでいた。法事の時などに、この家に連れていかれるのだが、実はそのことが大の苦手であった。母の実家も、そんなに裕福ではなかったが、家の商売が米屋であり、幸いなことに白米には事欠かなかった。後年になり「健康食」としての麦飯ではずいぶん食べやすくなったが、京町堀にくると、そのころはあの特有な匂いに閉口したものだ。それでも祖母に「よー、かんでたべや!」と促され、最後には涙がポロポロでてきた思い出がある。祖父は、近江から来た養子というわけだけではないが、物静かな人で、家の実権は祖母が握っていた。母に言わせると、祖母はずいぶん矍鑠(かくしゃく)とした人で、なにか断るときでも「そうでごありまへん」と丁寧な「船場言葉」で応対していたそうだ。その時分は知る由もないが、典型的な大阪商人の家の雰囲気だったのだろう。
現在の京町堀通りそうはいっても、子供のこと、その実家がやや窮屈で、祖母に小言を言われる前にすぐ前にあった靭公園へ抜け出し、いとことキャッチボールに興じたことを覚えている。ベンチで、すべり台で無心にあそぶ子どもたちの姿を目にしながら、そんな子ども時代の思い出に浸っている中、親不孝なことだか、今日は、奇しくもその亡くなった父の誕生日だったのに気がついた。何か眼に見えない力で靱公園へ引き連れられたのかもしれない。