月別アーカイブ: 2011年4月

みえない雲

みえない雲カバー

福島原発事故が、まだ収束に向かわない今、ドイツの児童文学者のグールトン・パウゼヴァング作「みえない雲」を本棚から引っ張り出した。パウゼヴァングさんの福島原発事故へのメッセージが、ネットでの友人うにさんのブログ「壊れる前に…」でも紹介されている。また、ドイツ語でのメッセージが以下にある。

Solange ich lebe, werde ich warnen(生きている限り警告します)

若いころ、反原発運動にもほんの少し関わったが、チェルノブイリ事故から25年、今回の事故では、当初「言わないこっちゃない」という「ルサンチマン」に似た感情だけで、原発問題が自分の中ではとうに「風化」しているのに自分自身でも驚いた。事故の大きさも、まさかチェルノブイリをある意味「超える」とは思わなかった。不明を恥じるばかりだが、所属する法人で、原発学習会を開催することになり、この本の再読もきっかけにして、原発からの脱却への道筋も少し見えてきた。それは、単にエネルギー政策の中身も大事だが、核兵器廃絶運動との連帯が不可欠だということだ。正直、2つの運動は別個に起こり、運動を担う人々も乖離していたが、これからは、考え方のフレームとしても統合しなければならない。パウゼヴァングさんも、核戦争後の世界を描いた「最後の子どもたち」で書いている。
たとえばぼくがお父さんや大人の人たちを責めたところで何ひとつ変わりはしない。核戦争の起きる数年間、人類を滅ぼす準備が進んでいくのを大人たちが何もせずおとなしく見ていたこと、また、核兵器があるからこそ平和のバランスが保てるんだと飽きもせず主張していたこと、そしてほかの人もそうだったけど、心地良さと快適な暮らしだけを求めて、危険が忍び寄るのに気づきながらも直視しようとしなかったことなど―――いまさらなぜと問いつめたところで何にもならないのだ。

グールトン・パウゼヴァング「最後の子どもたち」

また、東日本大震災直後に、九条の会代表・大江健三郎氏もニューヨークの雑誌に寄稿している。
原子炉の製造において過ちを繰り返すことは、ヒロシマの犠牲者たちを裏切る、最悪の人命軽視です。

死者は私たちを見守り、私たちに彼らの理想を尊重することを義務づけます。死者の記憶は、私たちが政治的現実主義の名のもとに、核兵器の有害性を矮小化してみせることを拒絶します。

一つの望みは、福島原子力発電所での事故をきっかけとして、日本人が再びヒロシマとナガサキの犠牲者たちと心を通わせ、原子力の危険性を認識し、そして核保有国によって提唱されている核抑止力という幻想を終わらせることです。

大江健三郎

原発学習会第2弾で、5月21日(土)午後4時から「みえない雲」の上映会も予定している。