月別アーカイブ: 2011年12月

倫敦と佐渡ヶ島

今年7月、遠くロンドンの地で、義姪に女の子が生まれた。イギリスでは出産から自宅に帰ると、一週間毎日、保健婦さんが家庭訪問をして、実用的なアドバイスをしてくれる。だが、台所に酒瓶が転がっているアルコール依存症の親には、育児を任せないという厳しさもあると言う。夫君は、歌人。その事を詠んだ一首。

あまた酒瓶転がりをれば連れ出すという国に親の一歩を踏めり

佐渡島(Wikipediaより)

折も折、Facebook で、JA新潟県厚生連佐渡総合病院小児科の紹介ページが掲載されていた。

私ども地域医療に携わる小児科医は、子どもたちの生まれ育つ「場」を全体的にとらえなおすことができます。その立場を活かして、子どもたちに全人的、全体的かかわりができる、これが地域で暮らす小児科医の醍醐味です。

高齢化社会であればあるほど、子ども達や小児科医の存在感が増します。地域に住む老人たちは、お孫さんと接することで、どんな薬よりも元気づけられています。その大切な孫を助ける小児科医はやはり老人たちに歓迎されます。

かかわらせていただいた子どもたちがどんな親になり、どんな子どもを育ててくれるのでしょう。新生児と瞳を合わせるたびに素晴らしい可能性を感じます。それをどう引き出せるのか、エコロジカルな興味が尽きることはありません。「1人の子どもが育つには、村人全員の力が必要だ。」ということわざがあります。佐渡に住む方々のお力をお借りして、子どもたちが大きく羽ばたくお手伝いをさせていただければ幸いです。

英国と佐渡ヶ島、もちろん、置かれた条件は同じではないし、国や地域によって、方法は様々だけれども、「子育て」という人間的・社会的な営為は今日も続く。そして、それに込める気持ちに変わりはあるまい。「飛べ、ここがロードス島だ!」当方、来年に向けての「心の糧」にしたい。

異型の原野にしてはならない

12月28日付 文化欄 「俳壇」より

たかが、五七五と言われるが、そこに込める俳人の意気たるや、凄いと思う。

地(ち)に在(あ)れば
数多(あまた)の
われの
一人(ひとり)の震(ふる)へ 仲里夏彦

米の一粒一粒(玄米)― Wikipedia よりその「震え」は、もちろん、地震のそれであろうが、同時に、未だに「収束」をみない原発事故のおぞましさでもあり、そうさせた原発関係者への怒りでもあるだろう。視覚に写るありふれた自然の中の立ち向かわなければならない「現実」の認識をこの一句に結実させている。もう一つ、最後に引く句も同様な視線の佳句である。

福島新米その一粒と見つめ合う 石川貞夫

同じ紙面の「論壇時評」には、「世界」の特集「原発 全面停止への道」の一論文で、細川護熙元首相が「さして疑問も抱かぬままに原発を容認」してきた「非」を認め、原発廃棄を訴えているとある。一度読んでみたいと思っている。

12月28日の診療

*インフルエンザの検査の後は、大人でも、鼻がツーンとするようで、ティッシュペーパーサービス。えー、一枚目まで無料となっています。二枚目からは…と言うと、思わず手を引っ込められました。ごめん、嘘です。存分にお使いください。

診察室の机

診察室の机


救急車有料化に反対!

前回のおっちゃんの話の続きです。
(くたびれた顔をして)わて、もうしんどなったわ。救急車で病院に担ぎ込まれて、すぐに手術や!麻酔からめー覚めたと思おたら、わての目の前に、救急車代の請求書がぶら下がっとるではないけ!おちおち寝てられへんわ!病室を見回すと、あっちゃこっちゃに救急車の宣伝ビラや。「今度、ご利用の時は、我が社の救急車を指定してください。回数券も販売しています。特典として、酸素100リットル、無料サービス付き、AED の割引もあります。」やて!けったくそ悪いから、病院の部屋代も合して、万札、たたきつけて、払ってきたわ!お陰で、財布にはなんにもあらへん、病院の帰りは、ひとけのあれへん WTC ビル、見てから、しゃーないし、痛い足ひきずって、歩いて帰ってきたわ。
ちなみに、西成区は、救急車の出動数が、一番多い区です。今日も、駅から診療所への道すがら、救急車が停車していました。

大阪市の救急車

大阪市の救急車


西成エリアブログ「救急車有料化に反対!」 も見てください。


母性で感受する震災と原発事故

渡り鳥写真

12月14日付、文化欄「朝の風」より
今年は、「戦後文学」という言葉があるように、「震災後文学」と呼べるような言語表現が詩の分野で出てきている、とコラムでは指摘する。『詩人会議』1月号では、「特に母性で震災・原発事故を感受する女性詩人」の一人として、中村純「もしも、私たちが渡り鳥なら」を引く。

放射能が降ろうとも。すべての母よ、渡り鳥のように子どもを連れて安全なところに飛び立て。裸で産んだあの日のように、素足で生きることを恐れるな。


月曜インタビュー−高畑淳子さん

映画「欲望という名の電車」
少し前の記事まで遡るので「今週の赤旗」という分類に変えた。今回は、12月5日付の文化欄から。
インタービューの相手は、今度「欲望という名の電車」の主役・ブランチを演じる高畑淳子さん。テネシー・ウィリアムズの芝居は、学生時代に、杉村春子主演で観たことがある。とても、アクの強いブランチで、義弟と絡むシーンは、その頃、60代の杉村春子さんの「壮絶な」演技だったことを憶えている。また、ビビアン・リー主演の映画(右写真)も、また、別の趣向だった。相手役マーロン・ブランドは「ゴッドファーザー」では、「大根」と思ったが、この映画ではフレッシュでなかなかの演技だった。(エリア・カザン監督に抜擢されたとか)今度、高畑淳子さんは、そのブランチを、「タフな女性」として演じるというが、インタビューの全体では、むしろフツーの女性になるような感じを受けた。ステージ上では、どんなブランチになるのか、楽しみであるが、関東地方のみの公演で観にいけそうもなく残念!

 


原民喜のこと(3)

以前の原民喜に関する投稿のそのまた、続きです。(2005年10月10日の日付があります。)

戦後、「原爆」をテーマにした作品を残した原民喜の戦前は、妻の発病とその看護のために、傷心の日々を送っていた。終戦後になって、そんな秋の日の数日の思い出を「秋日記」で描く。妻の入院先に通うことが日課だったある日、妻から一時的な回復を告げられた後、

明るい窓辺(まどべ)で、 静かにグラスの目盛を測っている津軽先生は、時々ペンを執って、何か紙片に書込んでいる。それは毎日、同じ時刻に同じ姿勢で確実に続けられて行く。と、あ る日、どうしたことかグラスの尿はすべて青空に蒸発し、先生の眼前には露に揺らぐコスモスの花ばかりがある。先生はうれしげに笑う。妻はすっかり恢復(かいふく)しているのだった。

と書くのは、つかの間の幻想だったのだろうか。揺らぐコスモスの花(左写真は、太宰治の「秋」と同じく野辺に咲くコスモス)が、生命(いのち)の証(あか)しのように使われている。妻の病気は、結核を悪化させる糖尿病も併発していたので、予断は許さない。そして時代も、主治医の津軽先生に、召集がかかるほど切迫していた。

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原民喜のこと(2)

以前の原民喜に関する投稿の続きです。(2004年12月2日の日付があります。)

原民喜写真

2年前の夏から、青空文庫原民喜プロジェクトが始まっている。「夏の花」を除き、いままでほとんど未読なのは、不明を恥じるばかりだが、機会あって、鎮魂歌などを読んでみた。妻を亡くしてからの残りの人生で、傷つきやすい彼の心に、「原爆」という残忍な事実がさらにのしかかった時期の、『鎮魂歌(レクイエム)』という名の通り、全編祈りの詩的言葉である。彼は、ふりしぼる声で、

 僕をつらぬくものは僕をつらぬけ。僕をつらぬくものは僕をつらぬけ。一つの嘆きよ、僕をつらぬけ。無数の嘆きよ、僕をつらぬけ。僕はここにゐる。僕はこちら側にゐる。僕はここにゐない。僕は向側にゐる。僕は僕の嘆きを生きる。

と書いている。嘆きを引き受けようと決意した時には、民喜の前には、亡妻やヒロシマの死者たちへと通じる道しか見えなかったのかも知れない。川西政明氏は、『小説の終焉』で、原爆の文学は終わったと小説の歴史を振り返る視点で書いているが、こうして、原民喜のなげかけた嘆きに対する読み手の回答は終わっていない。

 明日、太陽は再びのぼり花々は地に咲きあふれ、明日、小鳥たちは晴れやかに囀るだらう。地よ、地よ、つねに美しく感動に満ちあふれよ。明日、僕は感動をもつてそこを通りすぎるだらう。

この世に、神がましますなら、その神が愚かな人類への精一杯の慈愛で、民喜をしてこう書かしめたのだろう。そして、その神は、しばらくして『鎮魂歌(レクイエム)』を歌い終えた民喜を静かに召されたのでもあった。

原民喜のこと

Facebook で原民喜のことが、話題になっているので、以前書いた文章を引っ張り出した。2005年10月3日の日付がある。(語句を若干訂正した。)
大原美術館広島で原爆被災後の翌年、1946年に、原民喜は、東京に出て、「三田文学」などを舞台に文学活動を続けた。この時期、「夏の花」三部作などで、被爆体験の形象化に努めたが、心安らぐ日々ではなかったようだ。被爆から 5年、ようやく彼は原点と言うべき広島の地を訪れる決心をする。「氷花」では、東京の生活苦から逃れるニュアンスで書くが、死後発表になった「永遠のみどり」では、日本ペンクラブ廣島の会主催の平和講演会で話すためとあるので、なにか再生のきっかけを求めていたのかも知れない。

それはもう霜を含んだ空気がすぐ枕頭の窓硝子に迫つてゐたからであらうか、朝の固い寝床で、彼は何か心をかきむしられる郷愁につき落されてゐた。人の世を離れたところにある、高原の澄みきつた空や、その空に見える雪の峰が頻りと想像されるのだつた。すると、昔みたセガンテイニの絵がふと思ひ出された。あの絵ならたしか倉敷に行けば見られるはずだつた。

セガンティーニ「アルプスの昼間」(大原美術館サイトより)原民喜は、広島へ行く途中に、倉敷の大原美術館(上写真)に寄っている。実は、当方も、10月1、2日に岡山で、ある研究会があり、そのついでに倉敷まで足を伸ばしてみた。青空文庫収録作家でいえば、小出楢重、岸田劉生、藤島武二、また、モネやゴーギャンなどの絵の前では、久しぶりにゆったりした時間をすごすことができたが、残念ながら、彼の見たセガンティーニの「アルプスの真昼」(右写真)は、ちょうど宮城県の美術館に貸し出し中ということで「不在」であった。セガンティーニは、アルプスの澄み切った空と輝くばかりの草原を丹念に描く。人物や動物たちも清浄な光景に溶け込んでいるようだ。夢にまで見た故郷の風景にも似たセガンティーニの絵は、大きな悲しみを抱いて広島に向かう原民喜にしばしの慰めをあたえたのだろうか、そっと彼を見送ったような気がする。

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