月別アーカイブ: 2012年4月

ヴィンテージレコードの復活

この頃は、レコードを聴く機会がほとんどないが、先日、動きにくくなっていたLPプレーヤを調節し、アンプに繋ぎ、いざ再生。ところが、スピーカーとの接続不良で依然として音無し。そこで、発想を逆転、アンプのオーディオ端子から直接MP3プレーヤに取り込むことにした。最初は、レコード演奏に合わせて、MP3プレーヤも自動的に、ON、OFF してくれたが、数枚目のLPが同じ所をグルグル回って何時まで経っても終わらない(汗)。ゲバルティッヒに、LPプレーヤをドンと叩くと、また次のレコードの溝に飛んでくれるという始末。仕方がないので、できたMP3ファイルを、Audacityというフリーソフトで編集、ようやく聴くに耐えるファイルが完成した。このプロセスを経て、出来上がったのは、ウィレム・メンゲルベルク指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団のバッハ「マタイ受難曲」。Youtubeで見たところ、冒頭部分だけのアップだった。全曲版とはいかないが、昔、Fontana レーベルから出ていた、その1時間余の抜粋版。1939年の録音だから、とっくに著作権は消失している。写真が左はレコードのジャケット(表)、中はジャケット(裏)、右は、録音中のMP3プレーヤ。

アップロードファイル


狭山池まつりに行ってきた

狭山池まつりでの新婦人の出店

狭山池まつりでの新婦人の出店

新婦人のメンバーが、狭山池まつりで出店するというので、チータさんらと出かけた。少し暑いぐらいの日差しの中で、結構な人出。新婦人の焼きそば店の前には、長蛇の列。結局、昼食はそこでは調達出来ず、別の店で買ったホットドッグをチータさんと「わけわけ」した。
その他の写真は、Facebook にて。

4月28日の診療

*今日は、病児保育「まつぼっくり」は利用児は久しぶりにゼロ。それでも、4月のべ利用は100名を超えました。
*奈良民医連岡谷病院の田中茂樹先生から、診療所師長に、御著作の本をいただきました。こどもの「不登校」や「ひきこもり」など、診療所でも相談されることが多くなり、とても興味深いテーマです。師長ともども熟読させて頂きます。ありがとうございました。

「こどもを信じること」

「こどもを信じること」

Amazon にて。


井上ひさしが残してくれたこと

こまつ座旗揚げ公演ポスター

あれは、もういつのことだったか、東京に何か用事で出張に行っていた時だろう、新宿の街を当てもなくぶらついていると、芝居の切符を差し出す男の人に出会った。なにしろ「おのぼりさん」故、最初は、押し売りかと警戒したが、「都合で観られなくなり、遠慮なく使ってください」との親切さが伝わってきたので、遠慮なくいただいた。会場に行くと、「もぎり」(芝居で切符切りのこと)の女性がずらっと立っている。パンフ売りや案内係りも女の人ばかりだった。しかも、テレビかどこかで見たような方が近づいてきて、「井上です。ようこそお越しいただきありがとうございます。」と握手していただいた。その人が、前夫人、好子さんであったことは、後で知った。ともかく、スタッフがすごく芝居を盛り上げようとしていた雰囲気を感じたが、これも後で考えると、「こまつ座」旗揚げ公演だったからだろう。その時観た芝居は、「頭痛肩こり樋口一葉」、出演者全員が女性である。上記のスタッフ全員が女性で揃えたというのも、最初からの「狙い」だったようだ。
学生時代には、少し芝居をかじっていたからか、井上ひさしのイメージとして、「何か俗っぽい」と勝手に思っていたが、その見方は一変した。樋口一葉(夏子)をはじめとする女性たち、そこには幽霊までも登場するのだが、その彼女たちの絡みは、よくできたドラマツルギーを感じた。それ以来、井上ひさしの戯曲は、レーゼドラマ(読む芝居)として、読むようになった。最近は、NHK衛星放送で、芝居の実況もするようになったので、録画して楽しんでいる。小林多喜二が登場する「組曲『虐殺』」もその一つである。多喜二の姉役を演じた高畑淳子さんの演技にも「うまいなあ」と感じた。

日本人と漢詩(13)—芥川龍之介と木村蒹葭堂と皆川淇園

別渚べっしょ 風すくなくして 花 乱れひら
船をうつし しょううごかして 独り徘徊はいかい
たまたま 葉底ようてい 軽波けいはうごくに因って
知るれ 人の相逐あふおきたるを

谷文晁作木村蒹葭堂肖像

谷文晁作木村蒹葭堂肖像

江戸時代の大坂の「文化遺産」で誇れるものが三つはある。一つは、人形浄瑠璃、二つには、懐徳堂(Wikipedia)、商人が設立した学問所である。加藤周一の「三題噺」の一題に登場する富永仲基はこの学問所の門人であった。三つ目に、木村蒹葭堂が開いたサロンがあげられるのではないか。明治や戦争中を経ていづれの「文化遺産」もその「保存・継承」は決してたやすいことではなかった。橋下大阪市長の自分の好き嫌いだけでの文楽助成打ち切りや、懐徳堂保存会長に、日本郵政公社第一代総裁だった西川善文氏が座っていることなどは、また別の話題ではある。
ところで、東京人は、めったに大阪をほめない。逆もまた真実であろう。しかし、東京人龍之介は、「僻見」(PDF)の「四題噺」の一題に、木村蒹葭堂のサロンを誉めちぎる。巽斎の生涯に「如何に落莫たる人生を享楽するかを知つてゐた」として深い共感を寄せている。その収集物には、「クレオパトラの金髪」も混じっていたに違いないと龍之介特有のウィットまで付け加える。そうした思いを継ぐ形で「江戸文化人の共和国」を一冊の書物として作り上げたのは中村真一郎氏。その遺稿となった「木村蒹葭堂のサロン」がそれである。大部の本から、抜き出したらきりはないが、本日は、蒹葭堂が京都に訪ねた皆川淇園(Wikipedia)の詩を、たまたまNHKカルチャーラジオ「漢詩を読む」で流れていたので…

4月25日の診療

*病児保育「まつぼっくり」は、本日で、感染症隔離室の使用はゼロ、明日からも特に予約はない。久しぶりに、一般保育室のみでの運用となる。
*昼から、スタッフとインストラクターで、電子カルテのシミュレーション(写真)。覚えなくてはならないことがたくさんありすぎて…途中から猛烈な睡魔、しばしのまどろみの中で、全て機械が医者の代行してくれる夢を見る。コンピュータの合成音声曰く「あ、な、た、の、び、ょ、う、き、は……け、び、ょ、う、で、す。で、は、お、か、え、り、く、だ、さ、い。」はっと目が覚めると他のスタッフは熱心に画面を見つめていた(笑)。

電子カルテシュミレーション

電子カルテシュミレーション


朝はバロック音楽とともに…

赤旗4月23日付、皆川達夫さん紹介の記事

大学に入学し、大阪から金沢に行くとき、母がその頃始まったばかりのFM放送が聴ける目覚ましラジオを持たせてくれた。当時は、NHK−FMが始まったばかりの時代、すごく高価な餞別だったと思う。おそらく、大学の講義に遅れずに、朝ちゃんと起きるような心遣いで張り込んだのだろう。金沢で使ってみると、当地ではまだFMは試験放送なので、とぎれとぎれにしか聴けなかった。それでも、朝の目覚ましにFMをかけると、とても爽やかな音楽が流れてきたのを覚えている。今思えば、それが、名称を変えながらも40年以上続いている朝6時台の「バロック音楽の楽しみ」だったのだろう。
熱心な聞き手ではなかったが、全く知らないクラシック、それもバロック音楽を聴くうちに、そのいくつかの曲を知るようになった。4月22日付赤旗テレビ・ラジオ欄記事では、皆川達夫さんは、この番組では、三代目の司会者だったという。たしか、皆川さんの解説だったと思うが、カンプラ(Wikipedia)の「レクイエム」というあまり知られていない曲がかかっていた。その素朴で、しかも美しい旋律に思わず魅せられてしまったのは、社会人になってすぐの時期だったと思う。番組名は変わったが、今では、駅までの数十分の徒歩の合間に、朝のバロックは欠かせない音楽になっている。

嵐の後には穏やかや「田園」の調べが…

ザ・シンフォニーホール・大フィル定期演奏会入り口

ザ・シンフォニーホール・大フィル定期演奏会入り口

NHKFMの4月22日「ブラボー!オーケストラ」は、大阪フィルハーモニー交響楽団定期演奏会から(2月16日収録)のベートーベン「交響曲第6番ヘ長調作品68“田園”」。指揮者の大植英次さんは、今年3月いっぱいで、大フィルの音楽監督を降りられたといいます。その最後の定期演奏会でなぜ「田園」を演奏するのか?それは、単に橋下大阪市長の助成金削減に対する悔しさにとどまらず、第4楽章の「嵐」の後に、再び「田園」の喜びがあるという深い確信があるからです。それに応えて、演奏するという喜びをみごとに表現された大フィル楽団員の深い思いを十分に受け止めることができた名演であったと思います。大植英次さんは、「大阪クラシック」(Wikipedia)と称して、大フィルのメンバーなどとともに、街角で気軽にクラシック音楽を楽しめる企画を、2007年から続けておられました。ぜひ、今年2012年も、立ちこめる「暗雲」を振りはらい、実現されることを心から願っています。

日本人と漢詩(12)—芥川龍之介と孫子瀟

郷書きょうしょはるかおもふ、路漫々まんまん
幽悶ゆうもんいささたのむ、鵲語じゃくごかんなるを。
今夜合歡ごうかん花底かていの月。
小庭しょうてい兒女じじょ長安ちょうあんを話す。

やぶちゃんの電子テキストより

1921年の4ヶ月にわたる芥川龍之介の中国旅行で得たものは大きいと思う。また、芥川作品の各国語への翻訳のうち、民族差別的な要素を指摘されがちな評価であった「支那游記」のその中国語訳が出るくらいだから、再評価の機運があるのだろう。(関口安義氏は、その急先鋒の一人。)「支那游記」は、上海游記、江南游記、長江游記、北京日記抄、雑信一束と続く一連の中国紀行文で、Blog 鬼火に掲載されている。各々の巻で差別的な表現のニュアンスの違いもあるが、今読み返すと、まず、日本文化の底に流れる中国文明への憧憬を感じる。それに比べて、龍之介がつぶさに見た植民地化した中国の過酷な体験と、さらにその中国に「野望」を隠さない日本の現実が、二重にも三重にもだぶって描かれているとも取れる。西湖で蘇小小の土饅頭の墓を見てきただけではないようだ。漱石とは時代が違うし、谷崎潤一郎や佐藤春夫とも、気質が違う、芥川独自のとらえ方があると言えるだろう。関口安義氏は、旅行後の作品でも「桃太郎」「将軍」「湖南の扇」など、新たな社会批判的な小説に生かされていると言う。

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