月別アーカイブ: 2012年7月

7月31日の診療など

*メッチャ暑いので、夏カゼ全盛期!ヘルパンギーナからの発熱などの子どもに、複数例、躯幹、四肢部にうっすらと発疹が見られた。これも今流行のウィルスでの病気の特徴か?
*「桜の園」でのラネーフスカ夫人、東山千栄子さんの舞台を観たことがある。何か他の若い俳優を圧倒するような存在感だった。岩崎加根子さんなら、どう演じるのだろう?観てみたい。写真は、7月30日付け赤旗文化欄から。

7月30日付け赤旗文化欄

7月30日付け赤旗文化欄


7月30日の診療など

*朝、診察室に向かうと何やら女性用トイレから、呼ぶ声が…「でんき!」Tさんが、真っ暗の中から、顔だけ出して「せんせ、でんき!」。一瞬、リハビリのマッサージか何かで「電気」を当てて欲しいのかと思ったが、すぐに気が付く。でも、女性用トイレは入ったことがないし(笑)、スイッチの場所が分からず、やっとこさ、点灯した。「立ってるものは、医者でも使え!」と言う(笑)から、ま、ええっか?
*住吉市民病院存続の請願は、ひとまず継続審議まで持ち込むことが出来た。(写真は、そのニュースから)改めて、地域住民の存続要求の根強さに驚いている。文字通り、「市民の、市民による、市民のための、病院!」9月市議会でも審議されるので、運動を緩めず奮闘しよう!

住吉市民病院存続運動ニュース

住吉市民病院存続運動ニュース


7月29日のオフ

*おたふくかぜと水ぼうそうのワクチンをナオチーに接種、注射のあとに貼ったキャラクター・シールがお気に入りで、いつまでも指差ししています。写真は、Facebook にて。
*「Gone with the wind」で レッド・バトラーがスカーレット・オハラに曰く、「一度壊れたガラスはもとに戻らない!!」当方、一度言いたかった(笑)ので、ここらあたりで決めゼリフ。「そうだろ、ハッシー君!!君が壊そうとしている大阪市音、文楽、大フィルなどは、もとに戻らないんだよ!!」(大阪民主新報7月22日付けより)

大阪市音楽団の記事

大阪市音楽団の記事


日本人と漢詩(26)—雨森芳州

梅花数株、爛漫愛すし、寒暑をるといえども、あたかも心目に在り
春風識面野村梅 春風、おもにて識る、野村やそんの梅
苦竹叢前雪作堆 苦竹くちく叢前そうぜんに雪、つい
冷雨荒江身萬里 冷雨れいう荒江こうこう身は万里ばんりなるも
夢魂猶覺暗香來 夢魂むこんはなおおぼゆ、暗香あんこうきたるを

対馬藩釜山倭館図タイムマシーンはボロっちいので(笑)、江戸時代後期1800年頃にセットしたはずが、木村蒹葭堂の生まれた時期より、十数年ほど遡ってしまった。雨森芳州は、対馬藩で、朝鮮・中国との「外交」にあたったとある。(Wikipedia)新井白石とは、木下順庵門下の同窓生。残した記録からは、最近の「屈辱的」な日本外交と違い、原則的な「外交」を貫いたとある。
対馬藩の役を退いた後も、外交の舞台に狩りだされることもあり、1743年、芳州75歳の年に、朝鮮の雞知村を過ぎた時、梅の花を見て、三年前に亡くした息子の思い出を語っている。咲きはじめた梅の花で春を感じるが、まだ雪も積まれている。遠く異国の地で、夢に息子の思い出が梅の香とともによみがえる。ハングルや当時の中国語にすこぶる堪能だったと言う。現代の芳州よ、いでよ!(上図は、対馬藩の釜山倭館図)

*参考文献
上垣外憲一「雨森芳州」(中公新書)
中村真一郎「詩人の庭」(集英社)


7月28日の診療など

*暑い中だったが、しかも、ポリオ不活化ワクチンが一段落した後ではあるが、予防接種と乳児健診の受診者でいっぱい。これからの小児科の仕事の8割くらいが、こうした方面にわたるのだろうな?
*土曜日にかかわらず、病児保育「まつぼっくり」も利用が多い。生後3ヵ月の子どもも入室、ほんとにちっちゃくて可愛いね。(写真)

ある日の「まつぼっくり」

ある日の「まつぼっくり」


7月27日の診療など

*病児保育「まつぼっくり」にアデノウィルス性の結膜炎で入室中のSちゃん、まだ眼が赤い。明確な登園基準はないが、結構、長くかかるものだ。
*「住吉市民病院廃止統合問題」、今日の市議会では継続審議となる。署名を始めとする市民の力。今後、廃止反対運動の手綱を緩めてはならない。
*つくづく小心翼翼の人物だと思う。私も少なからずそういう傾向があるので、デカイことは言えないが(笑)、識者などから批判されると、アリバイを取り繕い、挙げ句の果ての付け焼刃的な知識を披露して「ウンチク」を傾けてもらっては、はた迷惑である。仲間内のやりとりならいざしらず公人として発言とは到底思えない。付け焼刃ではない湯川秀樹さんとは雲泥の差である。(古典文学体系月報より、ライセンス的には一部の文章の引用ということで…)

古典文学体系月報より

古典文学体系月報より


7月26日の診療など

*溶連菌感染症が流行っているようだ。比較的低い年齢層の子どももかかるようだし、特有の発疹、苺舌などの特有の、のどの所見がなくても、迅速検査で陽性に出ることがある。「慢性の」保菌者か、実際かかっているのかを見極めるのが、なかなかに難しい。
*昨日の文楽鑑賞、感動した!詳しくは、後日に記載するが、今日、見学にワザワザきた誰々さんは、のたもうたそうだ。「台本が古すぎる!」あいた口がふさがらないとはこのことだ!続いて「てっきり、僕は、曽根崎あたりの◯◯につとめる女の子にコ×プ×したら、こころのうちまで分って口説く話と思ってた。」と言ったとか言わないとか。ま、あまり品のある話じゃないいんで、これくらいで…
*大阪府の乳幼児医療費無料化の制度、徐々にではあるが、広がってきている。(写真は、大阪小児科学会情報サービス7月20日付けより)関係者各位のご努力の賜物だし、なによりも府民の地道な運動がそのバックにあり、嬉しい限りである。更に制度の拡充を求めたい、

大阪小児科学会情報サービス7月20日付けより

大阪小児科学会情報サービス7月20日付けより


日本人と漢詩(25)—和漢朗詠集と白楽天

白楽天
題峡中石上   峡中の石上に題す 
巫女廟花紅似粉 巫女廟ぶぢよべうの花はくれなゐにしてほほにに似たり
昭君村柳翠於眉 昭君村せうくんそんの柳はまゆよりもあを
誠知老去風情少 誠に知んぬ老いもてんで風情ふぜいの少きことを
見此爭無一句詩 これを見てはいかでか一句の詩なからむ

赤旗文化欄から

一海先生に刺激されて、ちょうど手持ちの漢詩アンソロジー「和漢朗詠集」と「訳注聯珠詩格」をパラパラとめくってみると、案外あるんだな、「風」が含まれている詩が…「春風」「東風」「風、席を払い」「風に随って舞い」「風、襟に入り」などなど。でも別の意味での「風情」などは少ないが、「和漢朗詠集」には、新聞記事の中の白楽天の絶句が前半と後半ともに引かれていた。そこで、一気に時代は、1000年遡る!
白楽天が生きたのが、9世紀の中国、その200年も経たずして、藤原公任によって「和漢朗詠集」が編まれ、白楽天は詩句の採用では。第一位を占めるようになった。訓読は、「古点」によるものなので、新聞記事とは異なる。粉は「類聚名義抄」に「ほほに=ほほべに」とあるとのこと。

さらに、興味深いのは、「和漢朗詠集」により、その後の日本の詩歌のテーマが形作られ、「美意識」が定着したことだ。それは、現代まで脈々と受け継がれている。その例として「新潮日本古典集成」では、中世「太平記」にあるエピソードにも、詩句が若干変更されているが、この詩を引用する。高師直が、塩谷判官の妻に、よからぬ思いの懸想するところの一文である。

[太平記巻二十一、塩谷判官讒死事]
只今此女房湯より上がりけりと覚て、紅梅の色ことなるに、氷の如なる練貫の小袖の、しほ〳〵とあるをかい取て、ぬれ髪の行ゑながくかゝりたるを、袖の下にたきすさめる虚だきの煙匂計に残て、其人は何くにか有るらんと、心たど〳〵しく成ぬれば、巫女廟の花は夢の中に残り、昭君村の柳は雨の外に疎なる心ちして、師直物の怪の付たる様に、わな〳〵と振ひ居たり。

*参考文献
「新潮日本古典集成」 和漢朗詠集 新潮社
「日本古典文学体系」 和漢朗詠集・梁塵秘抄 岩波書店


日本人と漢詩(24)―広瀬淡窓と大塩平八郎

広瀬淡窓
客冬多雨雪 客冬きゃくとうは雨雪多く
新歳尚氷霜 新歳しんさいなお氷霜ひょうそうあり
休道梅花晩 ふをめよ梅花ばいかおそしと
終将艶陽綻 ついまさ艶陽えんようほころばんとす

大塩中斎平八郎
昨夜閑窓夢始靜 昨夜閑窓かんそう夢始めて靜かなり
今朝心地似僊家 今朝けさ心地ここち僊家せんけに似たり
誰知未乏素交者 誰か知らんいま素交者そこうしゃとぼしからず
秋菊東籬潔白花 秋菊東籬とうり潔白けっぱくの花

話は、木村蒹葭堂没してから、30数年ほど時代を下る。天保8年(1837年)と言えば、天下を騒がせた大事件が勃発した。大坂天満与力・大塩平八郎の乱(Wikipedia)がそれである。その乱を背景にして、豊後日田で私塾・咸宜園を開き、高杉晋作はじめ、多くの門人を輩出した広瀬淡窓(Wikipedia)とその弟、久兵衛を主人公にいたのが、葉室麟「霖雨」であり、静かな感動を持って読んだ。その小説にも引用されていた広瀬淡窓と大塩平八郎の漢詩二首。淡窓の詩が作られたのは、天保八年、まさに乱の年のはじめ、天保年間は冷害で、全国的にも飢饉が続いていた。それでも、淡窓は、梅の花がほころび始めるのをじっと待とうと詠う。客冬は、過ぎし冬、新しい年もまた寒気が厳しい。しかし、やがて梅の花も暖かい日差しに花もつけよう。小説では、日田の代官より、咸宜園へ陰に陽に圧力がかかることに、弟九兵衛とともに苦慮している様に触れている。一方、大塩平八郎の詩は、「与力という繁忙な職を離れ、学問一筋に生きることができるという安堵した気持が述べられているが、自らを籬(まがき)に咲く秋の菊のような、潔白の花、となぞらえる強さが中斎をよく表している。」大塩が職を辞したのは、文政13年(1830年)とあるから、淡窓の詩の7年前の作である。いずれにしても、幕末の激動期はすぐそこまで迫っていたのである。写真は、大阪市西区靭公園南側にある大塩平八郎終焉の地石碑、盤石と言われた江戸幕府が倒れたのは、彼の死後、31年目のことであった。

大塩平八郎終焉の地碑

*参考文献
葉室麟「霖雨」PHP研究所


7月10日の診療など

*「いつもと変らへん」との「訴え」のSさん、それだけでは愛想無いので、ふとSさんの手元を見ると、「小学校の漢字でわかる漢字物知り本」なる本を抱えておられた。ページをめくると、これがなかなか奥が深い、はじめに「飛耳長目」なる熟語があった。その意味は、「[遠くのことをよく見聞きする耳目の意] 物事の観察に鋭敏であること。転じて,知識を広げる書物のこと。」だそうだ。中国の書物からの由来とのこと。こりゃかしこなるわ。さすが、大阪は商売だけやあらしまへんで、庶民まで勉強してる学問のまちや!
診察の最後に、Sさん曰く「閻魔さんの前で筆記試験があるんやわ、それに受からんと極楽行かれへんのやて!試験、落ちたらこの世に戻って来るわ!」(笑)
*その学問を根絶やしにしようとしているハッシー君。わてら、負けへんで!閻魔さんも怒ったはるわ!記事は7月6日付け赤旗大阪地方版より。

7月6日付け赤旗大阪地方版

7月6日付け赤旗大阪地方版