月別アーカイブ: 2015年6月

ハメハメハ大王のこども 笑

IMG_1146今日は梅雨特有の雨、いつも奥さんと一緒に診察に来られる Tさんも外出を渋っておられるようだ。代わりに奥さんが薬だけ希望、「咳してるので吸入してほしい」旨、言われるが、奥さんが代わりに吸入されるわけにはいかないし、そればっかりは本人が受診しないことには…
とここまで話をしていたら、なんとなく「みなみのしまのハメハメハ大王」の歌を思い出した 笑

南の島の大王は
子どもの名前もハメハメハ
学校ぎらいの子どもらで
風がふいたら遅刻(ちこく)して
雨がふったらお休みで
ハメハメハ ハメハメハ
ハメハメハメハメハ


師曰く(10)


エーリヒ・フロム先生曰く
「社会の内部に客観的な矛盾や葛藤が増大し、その解体傾向が次第にあらわになるようなときは、社会のリピドー的構造にもある変化が生じてくる。社会の安定を保っていた伝統的なきずなは消失し、伝統的な情緒的態度には変化が現れてくる。リピドーのエネルギーは新たな水路に向けて解放され、したがってその社会的な機能も変化する。そのエネルギーはもはや社会の体制維持には役立たず、新しい社会の形成と発展に貢献するようになる。それは「セメント」であることを止め、ダイナマイトに転ずるのである。」

『精神分析の危機』(中公新書・細見和之『フランクフルト学派』より)


師曰く(9)

シェイクスピア先生曰く

すべてのことにうんざりして 私は死んでしまいたくなる
優れた人が乞食のように扱われ
取るに足らないやつが派手に着飾っているのをのを見るにつけ
そして純粋な信頼が不幸にも裏切られたりするのを

見せ掛けの名誉が恥ずべくも重んじられたりするのを
乙女の美徳が荒々しくも踏みにじられたりするのを
正しき完全さが無残にも打ち棄てられたりするのを
無能な権力が飛躍を妨げたりするのを

芸術が権威によって口を塞がれたりするのを
能無しが学者面して学問を仕切ったりするのを
単純な真実が馬鹿にされたりするのを
捕らわれた善が悪の親玉に奉仕させられるのを見るにつけ

すべてのことにうんざりして、これらすべてにおさらばしたい
死んで愛する人をひとり残すことになるのでなかったのなら

Tired with all these, for restful death I cry,
As, to behold desert a beggar born,
And needy nothing trimm’d in jollity,
And purest faith unhappily forsworn,

And guilded honour shamefully misplaced,
And maiden virtue rudely strumpeted,
And right perfection wrongfully disgraced,
And strength by limping sway disabled,

And art made tongue-tied by authority,
And folly doctor-like controlling skill,
And simple truth miscall’d simplicity,
And captive good attending captain ill:

Tired with all these, from these would I be gone,
Save that, to die, I leave my love alone.

ソネット66番、ツヴァイク「エラスムスの悲劇と栄光」で引用されていたので

梅丘歌曲会館・詩と音楽

ショスタコーヴィチが、曲をつけているようだ。


師曰く(8)

マックス・ホルクマイヤー先生(Wikipedia)曰く
「なぜならヒロイズムと高貴な<世界観>がやかましく叫ばれる全体主義国家を支配しているのは、信条や世界観ではなく、かえって運命や上からの命令に対する個人の不活発な無関心や無感動にしかすぎないからである。今日のわれわれの任務は、理論への能力と理論からひきだされる行動への能力が、将来決して再度消え去ることはないのだという保証を行なう仕事である。きたるべき平和の時期に、日常生活のワダチが、問題全体を忘れさせかねないようになっても、消え去らないのだという保証を行なう仕事である。われわれの任務は、人類が現在の恐るべきデキゴトによって、完全に落胆させられないように、また人間にふさわしい、平和で、幸福な社会の方向への人間の信仰が、この世から消え去らないようにたえず闘いを続ける仕事である。」

(哲学の社会的機能 1940年 より)


阪堺線と「浪漫的亡命者」

10389715_861904333861160_6874151111793590337_n10945039_874004099317850_3149274733417713027_n先日、少し用事ができたので堺の御陵前まででかけた。以前は阪堺線が恵美須町まで通っていたので、天下茶屋まで乗り換えなしでずいぶん楽だった。その気で乗ってみたら、今は天王寺駅前までで、どっかで乗り換えなければならない。乗換駅がもひとつ判明せず、結局「我孫子前」とわかったのが何回か路面電車を乗り降りした後でずいぶん時間がかかってしまった。おかげで、昼間の電車だったので空いており、また待ち時間の間にゆっくり読書にふけることができた。読んだ本は、「コースト・オブ・ユートピア」の主人公ゲルツェンの伝記・E.H.カーの「浪漫的亡命者」の最初の数章。

ゲルツェンは、1847年にロシアを出国して以来、ふたたび祖国の地を踏むことがなかった。そんなドイツ、イタリアへの旅立ちの日から伝記は始まる。彼は、ロシア貴族の私生児の出自で、ともに同じ境遇だった従姉妹のナターリアと結婚した。のちに友人ゲオルク・ヘルヴェークとの不倫に悩むことになる。などなど、なかなか興味ふかい。と章がすこし進んだところで、最近阪堺線に導入された「トラム」が目の前を通り過ぎた。なんだか時空を超えて不思議な感じがした。同時に、「トラム」のなかで、「コースト・オブ・ユートピア」などの芝居ができたらというとんでもない妄想も浮かんできた。

 


ウメチカ・串かつ屋「松葉」移転問題

学生時代のウメチカには、各県の名産品店もあったし(行きもしないのにオミヤゲやと買って帰りました。ここからアリバイ横丁とニックネームがついたんだ 笑)、古本屋もあったし(ビニ本もありましたなあ 笑)赤旗販売店もあったし、フォークソングのライブもあったし…

Facebook によるといろいろ経過もあったようだ。(串かつ「松葉」ページ

 


葉室麟「星火瞬く」


アナーキストの大御所と言えばバクーニン(Wikipedia
)と相場が決まっているようだ。そのバクーニンが幕末の日本に姿を表し、なにやら政変に関係してくるという小説の設定なら期待感が高まるかな。葉室麟の小説のシチュエーションも、1861年にロシアの監獄を脱獄し日本に立ち寄ったのは史実のようだから、成り立つ設定ではあるが、正直、期待外れ…シーボルトの息子(その背景にシーボルトそのもの)や勝麟太郎、小栗良順(Wikipedia)、清河八郎(Wikipedia )、高杉晋作と幕府方、勤皇方など登場人物は多彩だが、どうもバクーニンとの絡みがもう一つ。トム・ストッパード『コースト・オブ・ユートピア』のほうが抜群に良い。


師曰く(7)

ニーバー先生曰く(中島岳志さんの講演より)

神よ

変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。