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こんなご時世だから(63)

大阪民主新報2016年2月21日づけ
No War 「戦争への道」許さない 元中学教員 牧邦彦さん
中学生も動員され空襲で死んだ
先輩たち、豊中中学(現豊中高校)生の戦時中の動員の話題が載っていた。豊中高校の同窓会名簿の昭和19年から20年にかけての記載には、「戦災死」がなんと多いことか。木村久夫氏の学徒動員からB級戦犯刑死の悲劇と同様に、国内でも同様な「死」が続いていた…out498


大阪民医連からの依頼原稿

「戦争法と医療」など大きなテーマで書くのはあまり得手ではない。そこで、 今までの諸兄のご投稿と趣きを変えて、敗戦直後に、B級戦犯として処 刑され た木村久夫氏のことを紹介する。
氏のことを知ったのは偶然のことであった。戦没学生の手記を集めた「きけわ だつみのこえ」という文集の掉尾に、ある人物の白眉の遺書があること は知っ ていた。そのことが、ほくせつ医療生協の機関紙での「歴史散歩」という連載記 事に取り上げられ、遺書の筆者が氏だと知ったのは、日本共産党 大阪府委員会 に勤務する高校の後輩Nさんからの知らせであった。そして実に氏は私の豊中高 校 (当時は中学、昭和11年卒業)の先輩にあたる。一時は、金沢第四高等学校 志望とあるから実現していたら二重の意味で先輩である。
京大経済学部に入学した氏は、学業半ばにして、出征、インド洋に浮かぶカー ニコバル島に配属され、通訳業務にあたったが、終戦直前の住民虐殺に 連座 し、上官の罪をかぶる形で連合国側により絞首刑に処せられた。その獄中で田辺 元「哲学概論」の余白に書かれたのが、その遺書である。
一昨年、東京新聞などで「わだつみ」に収録分以外にもう一通別の遺書があっ たと報じられた。そこにはさらに鋭い当時の軍部批判 が書かれていた。(余談 になるが、東京新聞は木村氏の恩師・塩尻公明氏が遺書を改ざんしたと断じてい るが、中谷彪氏は、木村氏の父が、戦後のGHQの検閲 を考慮した結果と言 う。私は中谷説の方が説得力があると思う。)
「彼(軍人)が常々大言壮語して止まなかった忠義、犠牲的精神、其の他の美学 麗句も、身に装ふ着物以外の何者でもなく、終戦に依り着物を取り除か れた彼 等の肌は実に耐え得ないものであった。此の軍人を代表するものとして東條前首 相がある。更に彼の 終戦に於て自殺(未遂)は何たる事か。無責任なる事甚だ しい。之が日本軍人の凡てであるのだ。」
歴史に仮定が許されるはずはない。でも氏の示した学問の力を支えにして、歴 史的事実を起こした原因の深い洞察と、現在の私たちに課せられた課題 に真剣 に向き合うことが氏が遺したものだと思えてならない。「戦争法」の実質化がな されようとされる昨今、そのことを強く噛みしめたい。 写真は、木村久夫氏の 高知高校時代の肖像と「哲学概論」の余白に綴られた遺書である。
(以上、ほくせつ医療生協の機関紙への投稿を加筆・訂正した。)PK2013122502100116_size0