10月7日のオフ

*今日のLong Tube Media
同じくビバルディの唯一のオラトリオ(Wikipedia http://bit.ly/Q3miut )から、演奏会用に編曲されているらしい。それでも、随分ドラマティックである。



*赤旗日曜版9月30日に、宇治市の洪水の事が載っていた。大学の後輩のN君の写真とコメントを添えて(写真)…折しもN君からのメールをもらったので、長文だが、その文章もアップ。何が起こるか見当がつかない現在、また「復興補正予算」に関係ないような部署からシロアリのごとく群がる一部政治家・官僚があまたいる中で、国民の命と暮らしをまもる政治・行政が切に望まれる。

赤旗日曜版9月30日宇治市水害の記事


「京都の災害」国土研連載を終えて -安全・快適なまちづくりのために行政のあり方を考える-
京都の災害をテーマにした国土研会員によるリレー執筆を、2011年11月20日号からこの9月16日号まで、全40回の連載として掲載していただきました。その第1回で、「洪水は異常豪雨など自然現象を原因とするもので防ぐことはできないが、それによって引き起こされる災害は社会の問題である…災害は社会の力で防ぐことが可能である」と記しましたが、東日本震災を見るにつけ、未だ災害のタネは尽きていません。この連載を振り返りつつ、「豊かにになったはずの日本」で、なぜ災害は無くならないのかを、政治の問題として考えてみたいと思います。
おりしも、連載最終版の8月14日未明、宇治市を中心とする府南部地域に凄まじい集中豪雨があり、かつてないほどの水害がもたらされました。確かに雨の降り方は尋常なものではありませんでしたが、河川管理者である京都府の責任を追及する声が多くの被災地で聞かれました。川や川の改修事業の遅れや、堤防決壊・洪水氾濫後の対応の遅れが多く指摘されるなど、「政治(行政)の問題」が問われる事態となりました。
連載第2回から6回までにおいて、府下で15名の方が亡くなった2004年の台風23号による水害を取り上げ、その中で「行政の責任、つまり人災と言わざるを得ない」と書きました。多くの方を「水死」によって亡くした主要な原因が、バスや多くの車が水没した国道175号を、道路管理者である京都府が通行止めにしなかったことにあったからです。ちょうどこの年4月、京都府地方組織の統廃合により、舞鶴土木事務所が中丹東土木事務所(旧綾部土木)に統合されていたのですが、バスなどの水没地は中丹東土木から最も遠い位置にあり、現地まで府職員が辿りつけなかったため、通行止めとできなかったのです。図らずも、8月の宇治水害は、台風23号水害の行政責任の問題を再現する格好となってしまいました。この統廃合により、当時の宇治土木事務所は京田辺市の山城北土木事務所に統合されており、堤防が決壊した弥陀次郎川は事務所から最も遠い位置にあったため、同様の事情により対応の遅れを招いてしまったのです。
災害などの非常時に迅速な対応が必須なのは言うまでもないことですが、こうした時には、至る所が通行不能になるなどのため、「遠い」ことは致命的な欠陥となります。京都府当局は、台風23号水害時の痛い経験を教訓としていなかったと批判されてもやむを得ないでしょう。また、この土木事務所統合時、宇治・田辺土木の河川砂防課には、両事務所合わせて10人の職員が居ましたが、現在は7人に減らされており、この人員不足の問題も決定的です。
この人員削減の問題は、平成11年から行われた「平成の市町村合併」による影響も深刻です。京都府下では、2004年には44市町村あったものが、現在26市町村にまで減らされており、それぞれの旧町役場は「支所」に名を変え、在籍する職員数が大幅に減らされています。台風23号で大きな被害に遭った由良川沿いの舞鶴市加佐地区は、昭和30年代に市に編入された地域で、当時「加佐分室」には数人程度の職員が配置されているだけで、水害時に頼りにされたのは高齢化したわずかの消防団であったと言われています。東日本震災で甚大な被害をこうむった旧田老町は、宮古市に合併されて100人ほど居た職員が30人程度まで減らされていますが、これは被災各地に共通する現状で、急を要する復旧・復興の足かせとなっています。
「安全・安心」は山田京都府知事が好んで多用する四文字ですが、上記のような組織統廃合を強引に進め、また平成の市町村合併に全国に率先して取り組むなど、ことのほか人減らしに熱心です。「安全・安心」はリップサービスにすぎないと言わざるを得ません。
「災害はそれに襲われた社会の断面を一瞬にして浮上させる」とは、内橋克人編「大震災のなかで」における序のことば冒頭の同氏の一文です。そして「阪神・淡路大震災で露呈したように、政府、公がなすべきことをなさぬまま、災害で人間生存の基盤を失ったものに対して、自助、自立が求められた」と続け、16年を経た東日本震災を前にして「いまもって私たちの国は、人間の基本的な生存権を保障する社会、政治構造になっていない」と、「社会の断面」つまりこの国の政治を批判しておられます。
バブル崩壊後この20年来、公共事業と言えば「ムダな」という修飾語付きで語られるほどに、国民の信頼を失ってきました。無駄なダムなど大型公共事業に巨費を浪費する一方で、洪水氾濫を防止するための河川改修など身近なインフラ整備を怠たり、国民の人命を守るべき責務を放棄してきたのです。
2011年3月11日、東日本で未曾有の震災被害に遭いましたが、果たしてこれを済んでしまったこととして安心していいものでしょうか。2012年10月の今、巨大な台風が襲来することや、東海・東南海地震に遭遇することも想定しなければなりません。無駄なダムなどに金と時間を浪費している時ではありません。「安全・安心は自己責任」であってはなりません。今こそ、「国民の生命と財産を守る」国本来の責務を全うすべき時です。


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