12月28日の診察室

*今年もあと2日にもなると、「慢性疾患」の患者さんも薬はあるけれど、気になる症状のご相談に来診される方が多く、結構混み合っていた。

河上肇の漢詩色紙

河上肇の漢詩色紙

*今日のメディア逍遥
「亡友山本宣治君の墓前に語る」・河上肇
【山宣のことが気になり、河上肇全集を手にする。その第21巻・1984年岩波書店発行の最後に以下の文章が載っていたので、全文掲載する・著作者没後50年を超えているので著作権は消失している。】

【写真は、自作の漢詩の色紙より、念のため下に「読み下し文」を付ける。題は、「偶成(鏡に対して田夫に似る)」】

何百という代議士のうち、君のみたつた独り、敢然として之に反対し、そのことが君が非業の最期の原因となった治安維持法。十数年に亘って残虐なる暴圧の限りをつくして来ましたが、今や新日本の建設に当り、その第一歩に於いて、此の悪法は完全に撤廃されてしまつた。今になつて一般の人々は、十数年前における死を賭しての君の闘ひが如何なる意義を有してゐたかを、悟つたでありませう。私はどういふ因縁からか君を暗殺した当の下手人黒田某なる者と、後年同じ刑務所――東京郊外の小菅刑務所に繋がれ、一二年の間といふものは入浴の度毎、いつも同じ湯槽に落ち合ったものであります。私はトカゲのヒモノのやうに痩せてゐましたが、黒田はテカテカ光る光沢のある浅黒い皮膚で、逞ましき筋肉を包み、如何にも腕力ありげに見えて居ました。入浴後には板の間でよく四股を踏んで居ました。私と山本君の関係を知つてゐるのかどうか、私には分かりませんでしたが、湯槽の中で顔を向け合ふと、先方からはいつも何の顧慮もなささうな調子で話を仕向けられるので、私の方でも六かしい顔をしたことはありませんが、しかしこんなに不愉快に思つたことはありません。吾々の仲間で彼と同じ湯槽にはいつたという経験をもつてゐるのは、おそらく私だけだろうと思ふので、――外の話はみな元気な諸君に譲り、私はただこの事だけをここにお話致しておきます。私は今殆ど老衰の極に達して、ただこれだけの事を書くにも、大変な苦労に感じたのです。言葉が足りませんがお許し下さい。

形容|枯槁《ここう》、眼《まなこ》眵昏《しこん》

眉宇《びう》纔《わずか》に存す、積憤《せきふん》の痕《あと》
心は老馬の如く路《みち》を知ると雖《いえど》も、
身は病蛙《びょうあ》に似て奔《はし》るに耐えず。
1941年3月14日作

【一海知義氏は、投獄されて「実践活動」を絶たれても、なおも変わらぬ信念・パッションが「積憤」という言葉に現れていると解釈されている。上記の山宣虐殺の報を聞いて後、河上の胸中に去来したのも同じ感情だったかもしれない。】


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