3月13日の診察室

*「今季のインフルエンザ流行状況の調査」を続けている。以前、A薬局でまとめたものは、2000年当時に、タミフルカプセルを子どもに呑ませるための工夫がテーマで、その関連での有熱期間を調べたものだった。今回の調査と重なる部分が大きいと懸念したが、年月も経っていることだし、別の視点からのまとめになりそう。

*今日のメディア逍遥

早いもので、来月から、また福島行き。そこで、2月11日当日の大阪民医連学術集談会でのスライドを掲載。クリックすると、PDFを表示。

「Fukushima」が語りかけるものスライド

「Fukushima」が語りかけるものスライド


発表原稿は以下のとおりだか、長文。もとのパワーポイントファイル。

(古ぼけた帽子、鞄、靴を身につけ、同じく古ぼけたトランクをもって)宮沢賢治です。えー、間違えました。きづがわ医療福祉生協の大里です。ただいま福島から駆けつけました。もっとも、大阪環状線の福島ですが…例によって、「与太話」で、意味不明な所はご容赦下さい。ご容赦ついでに、どうせ発表は数分で終わりまし、座長賞はN先生にお譲りしますので、ご遠慮いたします。その代わり、余った時間を討論に当て、フロアからの忌憚のない意見をお聞きするということ持ち時間を有効に使わせていただきますので、よろしくお願いします。
世界は変わった、小出さんの発言を聞いて本当にそう思ったのは、つい2年足らず前です。私は、正直、日本は滅びると真剣に思いました。みなさんも、少なからず、同じ感慨だったでしょう。しかし、もっと悲観的な言い方をすれば、今から思うと、それは、「終わりの始まり」「福島県民を始めとする苦難の歴史の始まり」にすぎなかったのかもしれません。
その日から、日々の報道に心痛める毎日が続きました。ともかく、真実が知りたい、そんな思いで、法人内でも、映画会、福井原発の見学、今中哲二さん、平野治和さんを講師に招いての2回にわたっての講演会を経て、「原発ゼロ」を求めての金曜日行動に繋がってきていると思います。
また、大阪や全国民医連の動きでは、被爆者委員会の京大原子炉研究所の小出、今中さんとの懇談、福島をはじめとする被災児の健診経て、全国民医連小児科では、わたり病院への医師派遣・支援を論議、また、「原発ゼロ」の国民集会、キンカン行動にも盛り上がってきました。その中で、2012年11月から、それこそ、三上満さんが引用した宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の表現ではありませんが、「福島」へ「行って」まいりました。
わたり病院は、おだやかな山と川に彩られた福島盆地にあります。でも、病院近くの公園などは、表面の土の「除染」の置き場でしょうか、ブルーシートに覆われた区域があり、今だに、0.48マイクロシーベルト(年間にして約3ミリシーベルト)の放射線量があります。診療そのものは、大阪と変わり様もなく、強いて言えば、「熱、なんぼあったべか?」などの「大阪なまりの福島弁?」での会話が続きます。それでも、「飯舘村」から「避難」してきた子どもの「ストレス」などいかばかりなものかと垣間見ることができました。そんな中で、手作りのクリスマス会は、「ホットスポット」を避けながら病院までバスでやって来た保育園児によるハンドベルなど、心和ませる一刻で、病院職員の意気込みを感じさせていただきました。わたり病院小児科の北条先生からは「粛々と診療している」との評価をいただき、本当にうれしく感じました。微力ながら、4月から何回かのお手伝いしてまいります。今日のみなさんのご意見を福島の仲間たちにお伝えできれば幸いです。
私はなにも「結論」を持って「ふくしま」から戻ったのではありません。今まで以上に「わからなく」なったというのが正直なところです。放射能が見えない以上に、「真実」が見えない、そのことから盲目にされている、「分断」させられている、日本の現実があると思うのは、私だけでしょうか?
こうした大きな状況を反映してでしょう、当初よりは少しは克服されてはきましたが、正直、民医連の中にも、「分裂・分断」はあるように思います。それは、時には、善意である言葉や行動が、そのままでは、なかなか伝わらない局面もあるとも聞きます。繰り返しになりますが私たちは、「分断」させられてはならない、ましてや、「分断」しては絶対にならないと痛感します。こんな中で、大阪に住む私たちは、何をすべきなのか、何ができるのか、今一度、私も含めてみなさんに問うてみたいと思います。
灰色の世界に「色彩」をつけるのは、あなたかもしれません。
ご静聴とディスカッションに協力いただいてありがとうございました。
討論では、福島出身のSさんから発言がありました。「現状は厳しい面はあるけれど、福島の人たちは、ともかく元通りにして欲しい、『避難』している人たちも、『故郷』に帰りたいはずだ。福島民医連の幹部たちもこうした面で訴え続けている。」
こうした発言に、「一つのささやかな方法として、福島の仲間たちを大阪で呼ぼう、大阪民医連の企画として取り組んでほしい。これは、わたり病院のスタッフと話した中でも、私たちに要望されたうち最も切実なものに感じた。」と提案しました。

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