学生時代のある演説会を思い出しました…

学生時代、そんなに確固たる政治的な定見が持てなかった時代、たまたま参加した演劇サークルで、「時代の風潮に対して、きっぱりと言い切ることとは?」といったテーマで芝居作りに打ち込んでいました。周囲では、「大学民主化」、「大学解体」、「ベトナム反戦」などのいろんな「党派」のスローガンに騒然としていた時代で、クラス討論や学生大会では「きっぱりと言い切る」ことに躊躇していたそんな毎日でした。宮本顕治さんの話を生で聞いたのは、ちょうどそんな折で、その政治的な演説会では、国の行く末に関して、「きっぱりと言い切」り、かくも明快な展望を持った政治家をはじめてまじかに見た思いがしました。

今日の赤旗日刊紙には、加藤周一さんの「宮本さんは反戦によって日本人の名誉を救った」と題する宮本さんへの追悼談話が載っていました。その中で、

宮本百合子が「歌声よ、おこれ」を書いた解放感が社会にみなぎっていた。顕治さんはその渦中の人であり、獄中で非転向を貫いた十二年があったから、ほかの人をはるかに超える解放感を感じたに違いない。それは高みの見物ではなく、一緒にやろうという将来への明るい希望に満ちた解放感だった。

宮本夫妻の戦時下の往復書簡『十二年の手紙』は日本のファシズムに対する抵抗の歌である。窒息しそうな空気の中で最後まで知性と人間性を守った記録である。

(宮本さんは)反戦によって日本人の名誉を救った。戦争が終り世界中が喜んでいるのに日本人だけが茫然(ぼうぜん)自失状態だった時に、宮本さんは世界の知識層と同じように反応することができた。

とされています。加えて、加藤周一さんは、宮本さんのバックボーンとして、「暴力革命」の断固とした放棄という政治的現実主義(リアリズム)と、あらゆる「権威」からの独立不羈の態度を挙げておられます。特に後者はソ連と中国の二大社会主義国への隷属を拒否したことは、福沢諭吉の「一身独立して一国独立す」の考えに通ずるとされています。こうしたバックボーンのもと、「きっぱりと言い切る」姿勢は、あの十二年にわたる獄中生活を通じ、血のにじむような努力によって形作られてきたことを、私自身が知ったのは、学生時代も過ぎ、ずいぶん後になってからです。

文芸評論家としての宮本顕治さんの一旦は、「壊れる前に…」で紹介されています。(トラックバックしておきました。)また、「歌声よ、おこれ」や「十二年の手紙」(当たり前ですが、宮本百合子執筆分のみ、例えば昭和20年分)は、青空文庫で公開されています。


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