五木寛之「ステッセルのピアノ」


古本ゲット価:100円
五木寛之「ステッセルのピアノ」
 今の診療所に赴任してまもなくの時、ある往診患者さまが、「戦争が終った時は、子供だった。」と言われた。たしかその方は、百歳近い長寿で、太平洋戦争の事だとすると、年勘定が合わない。よく聞いてみると戦争とは日露戦争を指しているようだ。

 日露戦争終結から、今年は百年。今は亡くなられたその患者さまの記憶とともに、戦争体験は、太平洋戦争以上に、歴史の遠い霧のむこうに閉ざされているようだ。この本では、かすかにかすむ戦争ゆかりの戦利品を五木寛之氏は、たぐり寄せるために、「敵の将軍ステッセル」から贈られたピアノの痕跡を、日本や中国各地に求めて、旅に出かけた。
なかでも、金沢の地は、旅順攻防戦に土地の若者が出征し、犠牲者も多く出たところである。作家生活をその金沢でスタートを切った五木寛之氏には、その頃から家族や友人らが語り継いだエピソード、ひいては、「ステッセルのピアノ」が金沢の地に現存しているという風聞も聞く機会があったのだろう。その伝説のピアノが楽器としての復元に至るまで、この本の中で取材している。はたして、それは本当に、はるかロシアから金沢まで流転してきた「ステッセルのピアノ」だったのだろうか?

<付記1>
 金沢で学生時代をすごした身にとって、五木寛之氏描く、金沢の情景はことのほか懐かしい。下宿していた処から僅か先に、五木氏の住まいがあり、刑務所の高塀(もちろん、外側である(^^;))に沿った道を散歩されていたのを今でも覚えている。

 やがて右手に内灘の砂丘とニセアカシアの防砂林が、低く長くつづいて見えてきた。海は暗く波立ちはじめていた。そのとき私は一瞬、あの古いピアノたちが一斉に聴こえぬ音楽をかなではじめるのを、体の奥深いところでたしかに聴いたような気がした。

遠い昔のある日、傷心ハートブレイクの身で内灘海岸にたたずんだことがあった。その時に聴いた海鳴りもそうした鎮魂歌レクイエムだっだのかもしれない。

<付記2>
 日露戦争に従軍した森鴎外は「うた日記」に

 扣鈕ぼたん
南山の たたかいの日に
袖口の こがねのぼたん
ひとつおとしつ
その扣鈕惜し

べるりんの 都大路の
ぱつさあじゆ 電灯あをき
店にて買ひぬ
はたとせまへに

えぽれつと かかやしき友
こがね髪 ゆらぎし少女
はや老いにけん
死にもやしけん

はたとせの 身のうきしづみ
よろこびも かなしびも知る
袖のぼたんよ
かたはとなりぬ

ますらをの 玉と砕けし
ももちたり それも惜しけど
こも惜し扣鈕
身に添ふ扣鈕

と、この本の解説に川村政明氏は引用している。その「うた日記」の近代文学館の復刻本を、200円でゲット、機会があれば改めて書いてみよう。


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