7月14日のオフ(7月15日追加)

*地元の演説会(写真)での応援演説、時間が余るかと思ったが、後から福島のFB友からのメールなど追加したので、逆に足らなくなってしまった。最後の「締め」はシドロモドロに…あまり、出来の良いものではないが、投稿の最後に載せておく。

元小学校教師から、子どもの実態など報告

元小学校教師から、子どもの実態など報告

演説会後に難波に志位委員長の演説会に参加、すごい人出だった。明日からまた福島、聞けば、夕方に福島駅前で志位委員長の街頭演説があるとのこと、福島も「燃えている」だろう。

*今日のメディア逍遥

・希望とは誠実を刻むことふとアラゴンの詩にも比べる

アラゴンの詩は語句が少し違い、 このサイト(http://www.geocities.jp/oshimahakkou/nenpu/kishorapa.html) にある。

もともと考えていた応援演説

ご紹介にあずかりました0台に住んでおります大里です。当たり前のことですが、コータローさんとは一切面識がありません。でも、最近では、ネットで拝見する機会が多くなりましたので、到底赤の他人とは思えません。ま、共産党だから「赤」には違いないのですけど。特にこの頃の習慣として、Youtubeでは、夜寝る前にコータローさんの「今日の一言」を聞かないとどうも寝つきが悪い、熱帯夜のせいだけではありません、明日への活力が湧いてこない、こんな気がしています。今回、コータローさんは国会議員になることを深く確信していますので、そうなっても「今日の一言」をぜひ続けていただくようお願いします。てなわけで、どういうわけかはさっぱりわかりませんが、福島での些細な経験をお話して、応援に替えさせていただきます。
2年4ヶ月の月日、生まれた子どもが、独り立ちし、いろんな言葉をしゃべり、たいていのことは自分でできるようになる決して短くはない時間です。そのことは、日々の診療現場、および、孫を見ていると実感します。その2年余前に、私たちは未曾有の体験をしました。いうまでもなく東日本大震災とそれに続く原発事故です。私は、正直、日本は滅びると真剣に思いました。世界は変わってしまった、と長年、反原発の運動をなさってきた小出裕章さんの話も納得ゆくものでしたし、みなさんも、少なからず、同じ感慨だったでしょう。しかし、もっと悲観的な言い方をすれば、それは、「終わりの始まり」「福島県民を始めと する苦難の歴史の始まり」にすぎなかったのかもしれません。
経過は、省略しますが、なぜか、OS市と福島県というのは、縁があるんですね。長年勤めてこられたM診療所O先生は、震災支援に引き続き福島県に永住することを決意なさいました。その0先生のご英断にくらぶべくもありませんが、私は、昨年秋から定期的に福島市内にある病院で小児科診療のお手伝いをしています。
病院は、おだやかな山と川に彩られた福島盆地にあります。でも、病院近くの公園などは、表面の土の「除染」の置き場でしょうか、ブルーシー トに覆われた区域があり、今だに、0.48マイクロシーベルト(年間にして約3ミリシーベルト)の放射線量があります。診療そのものは、大阪と変 わり様もなく、強いて言えば、「熱、なんぼあったべか?」などの「大阪なまりの福島弁?」での会話が続きます。それでも、固有名詞で有名になった「飯舘村」などカルテの記載があると、そこから「避難」 してきた子どもの「ストレス」などいかばかりなものかと垣間見ることができました。そんな中で、手作りのクリスマス会は、「ホットスポット」を避けながら病院までバスでやって来た保育園児によるハンドベルなど、心和ませる一刻で、病院職員の意気込みを感じさせていただきました。
私はなにも「結論」を持って「ふくしま」から戻ったのではありません。今まで以上に「わからなく」なったというのが正直なところです。放射能が見 えない以上に、「真実」が見えない、そのことから盲目にされている、「分断」させられている、日本の現実があります。しかし、私たちは、「分断」させられてはならない、ましてや、「分断」しては絶対にならないと痛感します。こんな中で、大阪に住む私たちは、何をすべきなのか、何ができるの か、自分に問いかけたいと思っています。また、「分断」を橋渡ししてゆく大きな役割を日本共産党に託したいというのが、私の正直な気持ちであります。
先日、福島県も原発事故の現場近く、浜通りまで行ってまいりました。帰還困難地域境界まで、実際の土地が線引きされているわけではありませんが、汚染の程度に応じた地域わけにより、その風景は 一変します。持参した線量計の数字も、0.06から2〜3へと不気味に上がってきます。
時間当たり2マイクロシーベルトある、人っ子一人いない、鉄道の駅前では、2年前の惨事から、時間が止まっているような景観が残っていました。周辺の田んぼには津波で押し寄せた漁船が横たわっています。車が突っ込んだままの崩れた家の軒下を巣とする小鳥たちが、群れをなして飛んでいきます。これを見て、ある種の既視感(デジャヴ)があると思い続けています。それはジブリの映画・天空の城ラピュタにも似た光景でした。
立ち入り禁止のボーダーでの、空間線量の測定、器械の検出上限近くの、9.8マイクロシーベルト/時間(年間にして、100mシーベルト近く)を 指してました。これは到底長年にわたって人の住める環境ではありません。先ほど、その光景はラピュタに似ていると言いましたが、ラピュタは「飛行石」の力で飛んでいってくれますが、この福島の地は、私たちの日本からは、勝手には去ってゆかないのです。
帰りの車では、元の市街に近づくにつれて、人口の1割が帰ってくるだけで、その町と人々の生活のぬくもりがあるんだと実感しました。ともかく、OS市の3倍の人口の15万人が、今までふるさとに帰ることすらもできないでいるのです。福島県の友だちからも、「上部だけで何にも進んでいない復興と、その傍らで進めている原発再稼働と輸出!!福島での事は無いものにしたいんでしょうね。今現在も、全国に被災者が拡散しているというのに…。」と怒りのメールが届きました。
現地で長年活動しておられる日本共産党員のお一人にも話を聞いてきました。『ここ今となっては、私には夢がある。事故現場は、原発への訣別をしっかりと胸に刻んだモニュメントと「除染」された廃棄物の貯蔵 場とする。そこの場所の周りには、一定の「緩衝地帯」を設け、その廃炉に至るまでや自然エネルギーへの道筋、放射線医学など対策を行なえるような 一大研究施設を作ることだ。』との言葉が、すこぶる印象的でした。井上ひさしの「吉里吉里」共和国に通ずる発想です。選挙戦が始まった今、こうした日本共産党への活動に人々の支持が今まで以上に集まりどの演説会も成功であるといううれしいニュースも聞きました。
以上、福島県の現状の一端を述べました。原発をなくす、ゼロにする明確な意思と展望を持ち続けているのは、政党では日本共産党だけです。このことははっきりしています。また、福島県民の切なる思いを決して裏切りません。それは、ここ大阪でも同じだと確信します。
最近関わった市民運動で、大阪市にあります住吉市民病院の統廃合を決める条例採決に、前日まで反対の意向だった、自民党、民主党は当日になって態度を豹変しました。公明党は、その前から維新にすり寄って条例に賛成でした。この運動の中でも、住民にきちんと寄り添う政治勢力はこれまた、日本共産党だけです。
1週間後に迫りました参議院選挙、比例代表区には、山下よしきさん始め、日本共産党の精鋭メンバー、大阪地方区には、たつみコータローさん当選を心から願っています。今回の選挙、日本共産党の勝利だと深く確信しますが、あえて言うなら、それに甘んじていたら困りますので、さらに9年後には、日本共産党は創立100周年を迎えます。その時までには、大きな国会議員、地方議員団で、よりダイナミックに日本の政治を動かす一大勢力になってほしいと思います。私もその時くらいまではこの世にいようと考えていますし、みなさんもどうか元気でいてください、よろしくお願いします。ご静聴ありがとうございました。

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