中井正一『土曜日』―1930年代、良心のブログ

 1930年代という戦前の暗い時代にも、「抵抗」の精神を貫いた思想家の一人に中井正一がいる。彼は、反軍国主義、反ファシズムの活動の輪を少しでも広げようとの意図で、『土曜日』という雑誌を発行し続けた。時の権力の弾圧の下、発行期間は一年半という短いものであったが、毎週書き綴った「巻頭言」を、今読んでみると彼の熱い思いが十分伝わってくる。Blog と称して、ここに拙い文を書き並べてはいるが、彼の、1930年代、良心のブログとも言うべき志の高さに及ぶべくもない事を恥じる次第である。ここは、彼と共同して『土曜日』の編集に当たった能勢克男氏が、1936年末に書いた時から 70年近くたっても色あせない、巻頭言そのままを紹介するのが相応しいかもしれない。

人間を見くびること、それが一番軽蔑に値する

昭和十一年十二月十九日

 何という激動の一年間であったろう。
二月の総選挙で、ホッと目を上げる間もなく、二十六日のあの事件、戸外は雪まじりの寒い風が吹いていた。国民はラジオにかじりついて、仲間同士では、散々政治を談じた。
「どうしたら、日本がよくなるか」「何が日本のよくなるのを阻んでいるか」その時ほど、国民全体が、本気になって考えたり、論じたりしたことはなかった。それに引続いて今年ほど、我々が日本のことを考えつづけた年はこれまでに、まだ、あるまい。
殆んど半年にもわたる戒厳令で、言論が甚しく不自由であると、叫ばれた。新聞は書くべきことを一つも書かないということで評判をとる位だった。
 七月にはじまったスペインの事件では、何百円も、何千円もの電報料を払う、如何にも権威のありそうな報道が、サッパリあてにならないことがわかった。陥落したとハッキリ号外まで出されたマドリッドが、今なお政府軍の手にある。ドイツやイタリーなどという国はどうやら陥落した、若しくは陥落するということを土台にして、叛軍政府を承認したらしかった。が、それは飛んでもない間違いだった。
新聞はいくら大げさな規模で、いくら信用がありそうでも、ためにする所があれば、ヌケヌケと嘘を書いて平気なものだということが、今年ほどよくわかった年はない、又エライ学者や、外交官などの、それこそ雲の如く沢山にいるドイツやイタリーのような国家でさえ、飛んでもない、間違いをやらかすことも、今年という今年は、よくわかった。
 つまらない、紙屑のような私たち――そうばかり考えている必要はない。いや、尠くとも、そうばかり考えてはいけないことがわかって来た。「憲政の擁護」などというのは、新聞の活字の問題ではなく、我我のもっている一票を投ずるために、マントを着て投票場に行くことの問題である。
 近頃、支那から帰って来た人の話だと、支那の大学は、各地でだんだん立派になりつつあるそうだ。一人一人が堂々としていて、温順で、ものわかりがよくって、自信に充ちていて、社会や国家の役に立ちたいという願いで、胸をふくらませているそうだ。日本の青年も、オリンピックなどばかりではなく、あらゆる方面で、もっと元気になる必要がある。自分がつまらないと、あきらめたり、他人を見くびったりすること自体が、一番軽蔑に値することである。
『土曜日』の過去半年の活動は、尠くとも自分や他人をみくびるためのものではなかった。

 ドイツをアメリカ、支那を現代中国と固有名詞を置き換え、私たちが今抱える問題と照らし合わせるだけで、彼の文章は、まさにアクチュアルな現代のそれである。

【追記】上記文章が、能勢克男氏の文である根拠は、生協運動における能勢克男を書いた本の紹介久野収氏の著書の紹介を見てください。


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