「戦争法と医療」など大きなテーマで書くのはあまり得手ではない。そこで、 今までの諸兄のご投稿と趣きを変えて、敗戦直後に、B級戦犯として処 刑され た木村久夫氏のことを紹介する。
氏のことを知ったのは偶然のことであった。戦没学生の手記を集めた「きけわ だつみのこえ」という文集の掉尾に、ある人物の白眉の遺書があること は知っ ていた。そのことが、ほくせつ医療生協の機関紙での「歴史散歩」という連載記 事に取り上げられ、遺書の筆者が氏だと知ったのは、日本共産党 大阪府委員会 に勤務する高校の後輩Nさんからの知らせであった。そして実に氏は私の豊中高 校 (当時は中学、昭和11年卒業)の先輩にあたる。一時は、金沢第四高等学校 志望とあるから実現していたら二重の意味で先輩である。
京大経済学部に入学した氏は、学業半ばにして、出征、インド洋に浮かぶカー ニコバル島に配属され、通訳業務にあたったが、終戦直前の住民虐殺に 連座 し、上官の罪をかぶる形で連合国側により絞首刑に処せられた。その獄中で田辺 元「哲学概論」の余白に書かれたのが、その遺書である。
一昨年、東京新聞などで「わだつみ」に収録分以外にもう一通別の遺書があっ たと報じられた。そこにはさらに鋭い当時の軍部批判 が書かれていた。(余談 になるが、東京新聞は木村氏の恩師・塩尻公明氏が遺書を改ざんしたと断じてい るが、中谷彪氏は、木村氏の父が、戦後のGHQの検閲 を考慮した結果と言 う。私は中谷説の方が説得力があると思う。)
「彼(軍人)が常々大言壮語して止まなかった忠義、犠牲的精神、其の他の美学 麗句も、身に装ふ着物以外の何者でもなく、終戦に依り着物を取り除か れた彼 等の肌は実に耐え得ないものであった。此の軍人を代表するものとして東條前首 相がある。更に彼の 終戦に於て自殺(未遂)は何たる事か。無責任なる事甚だ しい。之が日本軍人の凡てであるのだ。」
歴史に仮定が許されるはずはない。でも氏の示した学問の力を支えにして、歴 史的事実を起こした原因の深い洞察と、現在の私たちに課せられた課題 に真剣 に向き合うことが氏が遺したものだと思えてならない。「戦争法」の実質化がな されようとされる昨今、そのことを強く噛みしめたい。 写真は、木村久夫氏の 高知高校時代の肖像と「哲学概論」の余白に綴られた遺書である。
(以上、ほくせつ医療生協の機関紙への投稿を加筆・訂正した。)
たまたま今日、拝読しました。参考になりました。
ただ、私の調査結果を申しますならば、「中谷彪氏は、木村氏の父が、戦後のGHQの検閲 を考慮した結果と言 う。」というより、「中谷彪氏は、木村氏の父が、木村久夫の遺稿を編集したと言う。」ということになります。
その編集に当たって、父の久が、久夫の遺書(手記と遺書)を紹介した恩師・塩尻公明の評論文「或る遺書について」(「新潮」1948年6月号)の文章と「対照」したということです。
したがって、「戦後のGHQの検閲 を考慮した」というのは、塩尻公明が「或る遺書について」を執筆する際のときのことです。(2017,8,4)
中谷さん、コメントありがとうございます。なるほど、そう考えれば、ぴったりきますね。母校豊中高校の同窓会資料室には、小さいけれど木村久夫さんのコーナーがあります。一度お訪ねください。これからもよろしくお願いします。