原民喜のこと

Facebook で原民喜のことが、話題になっているので、以前書いた文章を引っ張り出した。2005年10月3日の日付がある。(語句を若干訂正した。)
大原美術館広島で原爆被災後の翌年、1946年に、原民喜は、東京に出て、「三田文学」などを舞台に文学活動を続けた。この時期、「夏の花」三部作などで、被爆体験の形象化に努めたが、心安らぐ日々ではなかったようだ。被爆から 5年、ようやく彼は原点と言うべき広島の地を訪れる決心をする。「氷花」では、東京の生活苦から逃れるニュアンスで書くが、死後発表になった「永遠のみどり」では、日本ペンクラブ廣島の会主催の平和講演会で話すためとあるので、なにか再生のきっかけを求めていたのかも知れない。

それはもう霜を含んだ空気がすぐ枕頭の窓硝子に迫つてゐたからであらうか、朝の固い寝床で、彼は何か心をかきむしられる郷愁につき落されてゐた。人の世を離れたところにある、高原の澄みきつた空や、その空に見える雪の峰が頻りと想像されるのだつた。すると、昔みたセガンテイニの絵がふと思ひ出された。あの絵ならたしか倉敷に行けば見られるはずだつた。

セガンティーニ「アルプスの昼間」(大原美術館サイトより)原民喜は、広島へ行く途中に、倉敷の大原美術館(上写真)に寄っている。実は、当方も、10月1、2日に岡山で、ある研究会があり、そのついでに倉敷まで足を伸ばしてみた。青空文庫収録作家でいえば、小出楢重、岸田劉生、藤島武二、また、モネやゴーギャンなどの絵の前では、久しぶりにゆったりした時間をすごすことができたが、残念ながら、彼の見たセガンティーニの「アルプスの真昼」(右写真)は、ちょうど宮城県の美術館に貸し出し中ということで「不在」であった。セガンティーニは、アルプスの澄み切った空と輝くばかりの草原を丹念に描く。人物や動物たちも清浄な光景に溶け込んでいるようだ。夢にまで見た故郷の風景にも似たセガンティーニの絵は、大きな悲しみを抱いて広島に向かう原民喜にしばしの慰めをあたえたのだろうか、そっと彼を見送ったような気がする。

その広島の地で、最後のメッセージとも祈りとも取れるように「原爆小景」の詩を綴り、「永遠のみどり」でも引用する。

  水ヲ下サイ

水ヲ下サイ
アア 水ヲ下サイ
ノマシテ下サイ
死ンダホウガ マシデ
死ンダホウガ
アア
タスケテ タスケテ
水ヲ
水ヲ
ドウカ
ドナタカ
オーオーオーオー
オーオーオーオー
天ガ裂ケ
街ガナクナリ
川ガ
ナガレテイル
オーオーオーオー
オーオーオーオー
夜ガクル
夜ガクル
ヒカラビタ眼ニ
タダレタ唇(くちびる)ニ
ヒリヒリ灼(や)ケテ
フラフラノ
コノ メチャクチャノ
顔ノ
ニンゲンノウメキ
ニンゲンノ

永遠のみどり

ヒロシマのデルタに
若葉うづまけ
死と焔の記憶に
よき祈よ こもれ
とはのみどりを
とはのみどりを
ヒロシマのデルタに
青葉したたれ


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