異型の原野にしてはならない

12月28日付 文化欄 「俳壇」より

たかが、五七五と言われるが、そこに込める俳人の意気たるや、凄いと思う。

地(ち)に在(あ)れば
数多(あまた)の
われの
一人(ひとり)の震(ふる)へ 仲里夏彦

米の一粒一粒(玄米)― Wikipedia よりその「震え」は、もちろん、地震のそれであろうが、同時に、未だに「収束」をみない原発事故のおぞましさでもあり、そうさせた原発関係者への怒りでもあるだろう。視覚に写るありふれた自然の中の立ち向かわなければならない「現実」の認識をこの一句に結実させている。もう一つ、最後に引く句も同様な視線の佳句である。

福島新米その一粒と見つめ合う 石川貞夫

同じ紙面の「論壇時評」には、「世界」の特集「原発 全面停止への道」の一論文で、細川護熙元首相が「さして疑問も抱かぬままに原発を容認」してきた「非」を認め、原発廃棄を訴えているとある。一度読んでみたいと思っている。

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