松田道雄:結核をなくすために

松田道雄先生の本を書棚の奥から取り出して改めて読んだのは、祇園まつりに触れたふる里の思い出がきっかけでした。

京都には、町医者の良き伝統があったらしく、子ども時代には、幾人かの「名医」に診てもらったと母から聞かされたことがあります。後に京都市長になった富井清先生は、眼科医、学校でトラコーマの疑いがあると言われて診察を受けました。先生が同じ医学部と知ったのは、当方が卒業してからです。連れ合いは、小児科医の松田道雄先生の診療所に通っていたといいます。その松田先生は、まだ結核が国民病と言われた時代、1949年に、この本、「結核をなくすために」という岩波新書の一冊を書かれていますが、60年近く経った今読んでも、先生の言葉がなんと瑞々みずみずしいことか!

 どんな軽い病気でも、その前の病人よりも上手になおしてみせようとする医者にとっては「ありふれた」病気というのはありません。たくさんの病人をみたことのある医者が名医なのではありません。千度みた病気にも、はじめてみる病気にも、同じ注意と警戒とを忘れない医者が名医なのです。ひとりひとりの病人にむかって、探求、比量、試行、批判へのやむことのない努力が、医者を「まじない師」や精神療法家から区別します。今日の医学が享受する高さのあるものは、日々の診療のなかに科学者であることをやめなかった医者の創意におうものです。

 全人類が一致して疾病と戦うのはいつの日のことでしょうか。それは人間が人間と戦う必要がなくなった日です。他の人間をはたらかせてうわまえをはねる人間のいなくなった日です。そういう日には、医者は医学博士になって金をもうけるために「実験」をしないでしょう。病人の苦悩を自分の苦悩とし、一日でもはやく病人の苦悩をとり去るために実験をするでしょう。病人はそういう医者を信頼するでしょう。

小児結核レントゲン像 本の書かれた時代に、松田先生が診た小児結核のレントゲン写真です。左の肺の下のほうに大きな結核の影があります。やっと化学療法が出回った当時、レントゲンの子供の運命を思うと心が痛みます。今でも、松田先生が理想とされた医療の姿には程遠いですが、「日々の診療のなかに科学者であることをやめなかった医者の創意」も意味が全くなかったわけではありません。数年前に、「結核を過去の病気とあなどるな」との記事を書きました。大都市の密集地帯、西成区などでの結核対策は一定の効果をあげて、一昨年、昨年の統計をみていると、ようやく結核にかかる割合が減ってきています。もちろん、油断はできませんし、対策もまだまだ不十分です。そんな中、当方は果たして「病人の苦悩を自分の苦悩とし、一日でもはやく病人の苦悩をとり去る医者」の端くれとして仕事をしているのだろうか?気持ちだけでもそうありたいと、ひたすら反省と思索の日々を送っています。( _ _)

 


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