堀辰雄・杜甫詩ノオト(2)

江亭
或日私は江亭の暖かなところへいって
腹ばひながら
気儘に江水の流れを見下ろしてゐた
水は疾く流れてゐたが
私の心はいかにも長閑でそれと競ふ心は起こらない
さうして雲が空中に漂ってゐて動かうともせずにゐるが
私の心もその雲のやうだ……
もの静かに春の一日も暮れやうとしてゐる
そしてすべてのものが
各々その所を得て 自ら滿足してゐるただ流浪中の自分だけは
かかる景色を見てもひとり悶々としてゐる
さうしてその悶を遣るために
こんな詩を書いてゐるのだ

江亭 杜甫(原詩と読み下し文)
坦腹江亭臥
長吟野望時
水流心不競
雲在意俱遲
寂寂春將晚
欣欣物自私
故林歸未得
排悶強裁詩

腹をたいらかにすれば江亭こうていの暖かに
長くぎんじて野を望むる時
水は流るれど心はきそわず
雲は在りてとものどかなり
寂寂せきせきとして春はまされなんとして
欣欣きんきんとして物は自ら
故林こりん帰ること未だ得ず
うれいをはらいて強いて詩をつく

壺齋閑話などから

原詩の首聯部はやや意訳ながら、全体として堀辰雄らしいソフトな口調であろう。杜甫がこの詩を作ったのは、長い放浪の旅でのつかの間の休息の時、四川省浣花草堂での作、草堂の庭先にあった亭での長閑な春をを唄う。それでも、憂愁の詩人の悶いは尽きない。
なお、以前、四川省の大地震に関連して、別投稿にも訓読文を引用して書いたことがある。

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