藤田真一「蕪村」

蕪村「鳶鴉図」

蕪村「鳶鴉図」

藤田真一「蕪村」を読みました。そのなかで、萩原朔太郎「郷愁の詩人 与謝蕪村」(青空文庫PDF)での、近代における蕪村評価の転換について触れられています。朔太郎の評論は、「青春の蕪村発見」ともいう論調です。もっとも藤田真一さんは、それは蕪村の一面だと言っていますが…蕪村は、亨保元年(1716年)大坂は毛馬の生まれ、天明三年(1783年)に京都で没しました。木村蒹葭堂(1736ー1802)のサロンともそのサークルが重なっています。
画像は、Wikipediaより。以下、「春風馬堤曲」を引きます。


春風馬堤曲しゅんぷうばていのきょく

○やぶいり浪花なにわいで長柄川ながらがわ
○春風やつつみ長うして家遠し
○堤ヨリおり摘芳草ほうそうをつめば 荊与棘塞路けいときょくみちをふさぐ
荊棘何妬情けいきょくなんのとじょうぞ 裂裙且傷股くんをさきかつこをきずつく
○渓流いし点々てんてん 蹈石撮香芹いしをふみてこうきんをとる
多謝たしゃす水上石すいじょうのいし 教儂不沾裙われをしてくんをぬらさざらしむるを
○一軒の茶見世ちゃみせやなぎおいにけり
○茶店の老婆子ろうばしわれを見て慇懃いんぎん
無恙むようつ儂が春衣しゅんい
○店中有二客にきゃくあり 能解江南語よくこうなんのごをかいす
酒銭擲三緡さんびんをなげうち 迎我譲榻去われをむかえとうをゆずりてさる
古駅三両家猫児こえきさんりょうけびょうじ妻を呼び妻来らず
呼雛籬外鶏ひなをよぶりがいのとり 籬外草満地りがいのくさちにみつ
雛飛欲越籬ひなとびてりをこえんとほっし 籬高堕三四りたかくしておつることさんし
春艸路三叉中しゅんそうのみちさんさなか捷径しょうけいあり我を迎ふ
○たんぽぽ花さけり三々五々五々は黄に
三々は白し記得きとくす去年この道よりす
あわれみとる蒲公たんぽぽくきみじかくして乳を※(「さんずい+邑」、第3水準1-86-72)あませり
○昔々しきりに思ふ慈母の恩
慈母の懐袍かいほう別に春あり
○春あり成長して浪花なにわにあり
梅は白し浪花橋畔財主きょうはんざいしゅの家
春情まなび得たり浪花風流なにわぶり
ごうを辞していそむき三春さんしゅん
もとを忘れ末を取る接木つぎきの梅
○故郷春深し行々ゆきゆきて又行々ゆきゆく
楊柳長堤ようりゅうちょうていようやくくだれり
矯首きょうしゅはじめて見る故国の家
黄昏こうこん戸にる白髪の人
ていを抱き我を待つ 春又春
○君見ずや故人太祇たいぎが句
藪入やぶいりの寝るやひとりの親の側

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