海老坂武「加藤周一ー二十世紀を問う」

*(岩波新書)ISBN978-4-00-431421-9

優れたPaperの「Summary」を書くのを日課にしていた先輩がいた。いつかは、Author を超えることを目指していたそうだ。少し、見習って我流で始めてみたが、途中で挫折した。乗り越えるどころか、その著者と論文が優秀であればあるほど、中味に圧倒されるのが関の山だった。対象者と「抄録」作成者との誠実な知的共同作業というべきこの著書を読んで感じたのはまずその事だった。加藤周一のいくつかの著書、特に自伝というべき「羊の歌」などを読んではみているが、その「テーベの大門」を見上げながら、今だに佇んでいる次第である。著者も、加藤周一を知るには、「羊の歌」からと推奨しているので、正しく門の入り口に立っているので少し安心し、また、「羊の歌」での以下の記述、太平洋戦争が始まった十二月八日夜に、加藤青年は、観客もまばらな新橋演舞場に、文楽を見に(聴きに?)ゆく箇所がもっとも好きだとの感想も共有するので、ますますその意を強くした。

私は忽ち義大夫と三味線の世界のなかにひきこまれていった。…もはやそこには、いくさも、燈火管制も、内閣情報局も、なかった。その代りに、何ものをも以てしても揺り動かし難い強固な一つの世界、女の恋の嘆きを、そのあらゆる微妙な陰影を映しながら、一つの様式にまで昇華させた世界、三味線と古靭大夫の声の呼吸に一部の隙もない表現の世界が、あった。その世界は、そのときはじめて、観客の厚い層を通してではなく、裸で、じかに、劇場の外のもう一つの世界ーー軍国日本の観念と実際のすべてに相対し、そのあらゆる自己充足性と自己目的性において、少しもゆるらず、鮮かに堂々と、悲劇的に立っていた

なんと、艶やかな感性に裏打ちされての、明晰で論理的な文章だろう!これが、加藤周一ワールドであると思う。昨今、撒き散らされる醜悪な発言の数々とは、対極的な世界が、ここにある。いつか、この優れた「抄録」に導かれて、大門の中も堪能したいものである。

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