タグ別アーカイブ: マルクス

続・こんなご時世だからこそ(4)

女性用カール・マルクスTシャツ

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カール・マルクス先生「フランスにおける階級闘争」(中原稔生訳)にて曰く
少し、遡り…
「ブルジョアジーは、これまで自己の飾りとし、また自己の全能の根源としてきた普通選挙権を、いまや否認して、あからさまに告白する。「われわれの独裁はこれまでは国民の意志によって成立していたが、いまやそれは民衆の意志にさからって強固にされなければならない」と。そして当然の帰結として、彼らは自己の支持者をもはやフランスの国内に求めないで、国外に、外国に、外敵の侵入に求める。」
この著作ではマルクスの分析は総じて一本調子的なキライがないではないが…
写真は、「Politicalレディースアパレル」から 笑

後に書かれた「フランスにおける階級闘争」序文(エンゲルス)は、革命政党の「議会主義」的戦術を定式化したものであるが、今日(こんにち)となっては、表現など若干古くなってきているのは否めない。


続・こんなご時世だからこそ(3)

カール・マルクス先生曰く
続いて、「フランスにおける階級闘争」(中原稔生訳)から
「その必要があれば、われわれ(そのころの秩序党、今の時代は?)は憲法にも違反するであろう。が、いまはその必要もない。なぜかと言えば、憲法はなんとでも解釈できるものであり、しかも多数派のみがいずれが正しい解釈を決定する権限をもっているから、と。」
先日の、ローレンス・スターン「トリストラムシャンディ」からのもじりは、第1巻11章には該当するのが見当たらなかった。もう一度最初から探してみよう…


ヘーゲル「法の哲学」とマルクス(1)

2014年10月6日〜2015年6月15日
関西勤労者教育協会主催
牧野広義氏(阪南大学教授・勤労協副会長)

第1回、10月6日 「法の哲学」序文

1) ヘーゲル「法の哲学」とマルクス
『ライン新聞』退職後、「私を悩ませた疑問[経済問題と社会主義・共産主義思想]の解決のために最初にとりかかった仕事は、ヘーゲルの法哲学の批判的検討であった」(マルクス『経済学批判』「助言」)

2)その前後の出来事
「法の哲学」執筆は、1820年6月25日の日付、出版は、1821年。ガンス(マルクスの師、進歩的な立場)が講義録をまとめた。

1789年7月 フランス革命
ヘーゲルは、友人と一緒に歓喜の声をあげた。
その後のテロリズムとナポレオンの出現
1815年9月 ワーテルローの戦い
1815年 神聖同盟
1819年3月
ドイツ学生同盟員だったブルシェンシャフトがロシア公使館顧問を殺害
この後、ヘーゲルの友人・弟子への弾圧、ベルリン大学教授追放など弾圧が強化
1830年革命
1848年革命

3)序文の趣旨
「法の哲学は自由という鋼鉄でできている」
「法」=Recht(独)=right(英)、欧米では「法」も「権利」も一体のもの
「法」の「成り立ち」(Gesetz)=自然の「法則」という時のそれと同じ
1.ヘーゲルのベルリン大学教授前任者フリースへの批判
フリースの言「生きたもろもろの結社が友愛の鎖によって固く結ばれて、身を捧げることであろう」
ヘーゲルの言「浅薄さというやつのおもな了見は、学を思想と概念の展開のうえに立てるかわりに、むしろ直接的な覚知と偶然的な思いつきのうえに立てようとすることである。」(ポピュリズムの発生はいつの時代も変わらない)

2.哲学の任務
「哲学は、理性的なものの根本を究めることであり、それだからこそ、現在的かつ現実的なものを把握することであって、彼岸的なものをうち立てることではない」

3.理性的なものと現実的なもの
「理性的であるものこそ現実的であり、現実的であるものこそ理性的である」
「理念と同意義である理性的なものは、おのれの現実性のうちにありながら同時に外的な現存在のなかへ踏み入れることによって、無限に豊富なもろもろの形式、現象、形態化されたあり方において出現し、多彩な外皮でおのれの核心をつつむ」
「本稿は、国家をふくむかぎり、国家を一つのそれ自身のうちで理性的なものとして概念において把握し、かつあらわそうとするこころみにほかならない。」

4.時代を思想においてとらえる(逆にならないところがいかにもヘーゲルらしい)
「ここがロドスだ、ここで跳べ。(Hic Rhodus,hic saltus!)
存在するところのものを概念で把握するのが、哲学の課題である。というのは、存在するところのものは理性だからである。個人に関していえば、だれでももともとその時代の息子であるが、哲学もまた、その時代を思想のうちにとらえたものである。」

5.哲学と現実の和解
「ここにローズがある、ここで踊れ。(Hic rhodon,hic salta!
自覚した精神としての理性と、現に存在している現実としての理性」との和解
「理性を現在の十字架におけるローズとして認識に、それによって現在を喜ぶこと。この理性的な洞察こそ、哲学が人々に(納)得させる現実との和解である。」

6.ミネルヴァのフクロウ
「哲学は世界の思想である以上、現実がその形成過程を完了しておのれを仕上げたあとではじめて、哲学は時間のなかに現れる」
「ミネルヴァのフクロウは、たそがれがやってくるとはじめて飛び始める。」

4)マルクスのヘーゲル批判
1.『ヘーゲル法哲学批判序説』(1844年)より
「哲学がプロレタリアートのうちにその物質的な武器を見出すように、プロレタリアートは哲学のうちにその精神的武器を見出すのであって。思想の稲妻が底深くこの素朴な人民的基盤のなかに落ちるやいなや、ドイツ人たちの人間への開放は成就される。」

2.『資本論』第一部「第二版へのあとがき(1873年)より
(略)

参考:

http://www.ronsyu.hannan-u.ac.jp/open/n001936.pdf

見田石介「ヘーゲル論理学入門」

あるFBコメントから

勤労協で半年かけて、ヘーゲル「法の哲学」を学んでいます。弁証法って、通俗的な解釈とは別に奥深いものですね。「若きヘーゲル」(ルカーチ)以来、培ってきた方法論なんですね。
「よー、あんなむずかしいこと考えるわ!」といった感じです。(笑)年とってからの脳の活性化に少しでも役立てればと思っています。それと、わが青春時代に「指定文献」とやらばかり読まされて(笑)、ここにきて通り過ごしたものの何と偉大なことか!