以前の原民喜に関する投稿の続きです。(2004年12月2日の日付があります。)
2年前の夏から、青空文庫原民喜プロジェクトが始まっている。「夏の花」を除き、いままでほとんど未読なのは、不明を恥じるばかりだが、機会あって、鎮魂歌などを読んでみた。妻を亡くしてからの残りの人生で、傷つきやすい彼の心に、「原爆」という残忍な事実がさらにのしかかった時期の、『鎮魂歌(レクイエム)』という名の通り、全編祈りの詩的言葉である。彼は、ふりしぼる声で、
僕をつらぬくものは僕をつらぬけ。僕をつらぬくものは僕をつらぬけ。一つの嘆きよ、僕をつらぬけ。無数の嘆きよ、僕をつらぬけ。僕はここにゐる。僕はこちら側にゐる。僕はここにゐない。僕は向側にゐる。僕は僕の嘆きを生きる。
と書いている。嘆きを引き受けようと決意した時には、民喜の前には、亡妻やヒロシマの死者たちへと通じる道しか見えなかったのかも知れない。川西政明氏は、『小説の終焉』で、原爆の文学は終わったと小説の歴史を振り返る視点で書いているが、こうして、原民喜のなげかけた嘆きに対する読み手の回答は終わっていない。
明日、太陽は再びのぼり花々は地に咲きあふれ、明日、小鳥たちは晴れやかに囀るだらう。地よ、地よ、つねに美しく感動に満ちあふれよ。明日、僕は感動をもつてそこを通りすぎるだらう。
この世に、神がましますなら、その神が愚かな人類への精一杯の慈愛で、民喜をしてこう書かしめたのだろう。そして、その神は、しばらくして『鎮魂歌(レクイエム)』を歌い終えた民喜を静かに召されたのでもあった。