タグ別アーカイブ: 結核

1月4日の診療

*今年はじめての患者さんは、抗結核薬投与中のIさん、正月休みの間、服用を続けていたが、倦怠感著明、全身筋肉痛だったとのこと。薬剤の副作用を考えて、PZAとEBを中止した。(写真)

Iさんの電子カルテ

Iさんの電子カルテ


というわけで…
*外つ国言の葉の庭
Yo he suspendido dos clase de su medicamentos para tuberculosis por razones de efectos secundarios.
私は、副作用のため、彼の結核の薬のうち、2種類を中止しました。
*今日のメディア逍遥
今日はお休み(笑)


12月3日の診療

*先日から、結核の治療を始めた、Iさん、地域の保健婦さんが訪問して服薬を確認するDOTS(Directly Observed Treatment short course)の手帳を見せていただいた(写真)。まずは、順調にいっているようなのでひとまず安心。薬の副作用チェックのために、眼科へ紹介した。

DOTS手帳

DOTS手帳


*今日のメディア逍遥
縦横の笛で織りなす綾錦眠りの顔にはらりと落ちて


11月28日の診療

*今日は、昼から医療福祉生協の班会での「講話」で「インフルエンザの話」、それが終わると、立て続けに、法人医局会での症例検討でプレゼンテーション。大阪市の結核健診で見つけられた症例を発表した。(写真)現在、橋下市長の肝いりで「西成特区構想」の一環として健診が取り組まれている。この事自体は結構なことだが、彼は、西成の結核の罹患率の低下は、後で自分の成果だと自慢気に言うに違いない。でも、統計的な資料にも明らかのように、彼の就任のだいぶ前の1999年から減少してきている。これは、Dots(Directly Observed Treatment short course)などを強力に推進した地域保健婦はじめ関係者の努力が実りはじめたからである。さらなる前進をするためには、今までの拠点型Dots に加えて、訪問型Dots など必須で、それなりのマンパワーが要求される。医学的には、初期治療に、キノロン系抗菌剤を使って、見かけ上の症状の改善があった点を反省・教訓としながら症例提示した。

症例の臨床経過

症例の臨床経過


*今日のメディア逍遥
迫り来るあやしきまでのファタンゴは若かりし頃の心のうず


11月19日の診療

*昨日の続き、肺結核(再発)のIさん、ご本人に説明して、抗結核剤の投与を開始した。予防法の書類(写真)とおり、REF(リファンピシン)、INH(イソニアジド)、EB(エタンブトール)、PZA(ピラジナミド)の4剤投与とした。正確な感受性検査は未だだが、うまく効いてくれることを願う。

結核予防法申請の書類から

結核予防法申請の書類から


*今日のメディア逍遥
港では異国の船との商いに「もうかりまっか?」と楽器たちの声


11月18日の診療

*11月初めから調子を崩しがちなIさん、当初CRP(炎症反応)が陽性だったため、点滴や経口で種々の抗生剤や抗菌剤を使った。ようやく、元気も出てきて、その効果ありと期待されたが、どうもCRPの値が下降はしてきたが、陰性にならない…全身状態もそんなに悪くなく、薬剤なしで経過を見ようと思ったが、10月中旬の結核菌培養で陽性だった。レントゲンでは、以前からの陳旧性と思われる陰影は5月以来変わらないと思うのだが(写真)…途中で服用していた、たった数日間投与でもニューロキノン系抗菌剤が病状を修飾した可能性あり、だとすれば痛恨の極みである。明日から、抗結核剤の3剤投与開始予定。

右上肺野の陰影

右上肺野の陰影


*今日のメディア逍遥
Youtube ダウンロードの方法は? 妻に聞かれてしばし困惑

ある婦人団体の新年会で使うらしく、CDにしろと言われたが、Windows マシンではよく分からない。試行錯誤のうえ、ようやくダウンロードできたが、CD完成はまだこれから。

2月27日の診療(インフルを中心として)【追加】

*インフルA型陽性のSちゃん、タミフル、イナビルなどの薬を使わないでおこうと一生懸命、お母さんへ説明したら、「私、薬剤師です。」との事。はじめに言ってくださいよ、端折って言えたのに(^_^;)
*68才男性、血痰が出たとの訴え、結核菌塗抹陽性で、レントゲン写真でも影がある「開放性結核」じゃないですか?(写真左は1年半前のレントゲン、右は今日のレントゲン)早速、専用病棟のある病院へ紹介しました。結核は決して過去の病気ではない、まして、ご当地では…

胸部レントゲン写真で新たな陰影が…

胸部レントゲン写真で新たな陰影が…


松田道雄:結核をなくすために

松田道雄先生の本を書棚の奥から取り出して改めて読んだのは、祇園まつりに触れたふる里の思い出がきっかけでした。

京都には、町医者の良き伝統があったらしく、子ども時代には、幾人かの「名医」に診てもらったと母から聞かされたことがあります。後に京都市長になった富井清先生は、眼科医、学校でトラコーマの疑いがあると言われて診察を受けました。先生が同じ医学部と知ったのは、当方が卒業してからです。連れ合いは、小児科医の松田道雄先生の診療所に通っていたといいます。その松田先生は、まだ結核が国民病と言われた時代、1949年に、この本、「結核をなくすために」という岩波新書の一冊を書かれていますが、60年近く経った今読んでも、先生の言葉がなんと瑞々みずみずしいことか!

 どんな軽い病気でも、その前の病人よりも上手になおしてみせようとする医者にとっては「ありふれた」病気というのはありません。たくさんの病人をみたことのある医者が名医なのではありません。千度みた病気にも、はじめてみる病気にも、同じ注意と警戒とを忘れない医者が名医なのです。ひとりひとりの病人にむかって、探求、比量、試行、批判へのやむことのない努力が、医者を「まじない師」や精神療法家から区別します。今日の医学が享受する高さのあるものは、日々の診療のなかに科学者であることをやめなかった医者の創意におうものです。

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