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日本人と漢詩(23)—菅茶山と葛子琴

浪華二首 一
不見題詩葛子琴 詩をだいする葛子琴かつしきんを見ず
楚萍謝絮正春深 楚萍そよう謝絮しゃじょまさはるふか
同遊十五年前夢 同遊どうゆう十五年ぜんの夢
白髪重來淀水陰 白髪重ねて来る淀水でんすいいん
 同二
浪速城中水幾岐 浪速城中なにわじょうちゅうみず幾岐いくし
作経作緯似蛛糸 けいすは蛛糸しゅしに似たり
可憐兩派終分去 あわれむべし両派りょうはついわか
南下西流無會期 南下なんか西流せいりゅうときなし

誰しも、20歳代の思い出はたくさんあるが、案外もう少しあと30歳代に出会った人々の方がより鮮明なようだ、混沌社の詩人たちと交流し、やがて独自の詩風を確立していった菅茶山もそうした傾向にあると思われる。晩年に、葛子琴の事を「手を叉す温生の捷」と手をこまねいている間にたちどころに作詩したといわれる晩唐の詩人・温庭筠になぞらえて懐古しているが、その葛子琴に出会ったのは、30歳台の事、京都・聖護院での邂逅、たちまち意気投合して、詩の応酬になったという。葛子琴は本当に天才肌の詩人で、夭折したところなど、例えて言えば同時代のモーツァルトに比すことができるのではないか?時は、安栄9年、1780年のことであった。それから何度か茶山は大坂を訪れたり、通過しているが、二首は、寛政6年(1794年)の作。あれから10数年、葛子琴は10年前にすでに泉下の人で、親しく語り合うすべもなくなっていた。
一首目、萍は、浮き草、楚の浮き草を採取するのは、覇者のみであるという伝説。絮は綿花、東晋の謝道蘊という女流詩人が雪の降る景色より綿花の舞うほうが美しいと言った言い伝えによる。淀水陰は淀川の南、葛子琴の商家があった方向を指す。二首目は、浪速城中は大坂の市街、幾岐はいくつもの枝分かれの川筋の形容、経(たて)と緯(よこ)糸は、蛛糸(くものいと)に似ている。可憐は、「あはれなり」、このあたり、百人一首での崇徳上皇の歌「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川たきがはのわれてもすゑに 逢はむとぞ思ふ」を連想してしまう。
写真は、上は、江戸時代の図版から「澱川両岸一覧」長柄河口付近の図、下は現在の堂島川の流れ、昔を知るよすがもあまり残っていない。

現在の堂島川

*参考文献
江戸詩人選集第4巻「菅茶山・六如」(岩波書店)
同第6巻「葛子琴・中島棕隠」(同書店)
富士川英郎「菅茶山」日本詩人選第30巻(筑摩書房)


日本人と漢詩(21)—葛子琴と山片蟠桃

山片蟠桃
天何奪名士  てん何ぞ名士めいしうば
蕭索讀書臺  蕭索しょうさくたり読書どくしょうてな
李杜詞章歇  李杜りと詞章ししょう
扁倉方術灰  扁倉へんそう方術ほうじゅつはいたり
九原埋寶樹  九原きゅうげん宝樹ほうじゅうず
一世惜奇才  一世いっせい奇才きさいしむ
友生長別淚  友生ゆうせい長別ちょうべつなみだ
流到玉江隈  ながれて玉江ぎょくこうくまいた

玉江橋北詰から南東方向(天王寺方面)を見る

江戸時代の大坂での文化活動で世界に誇れるものが三つあると、以前にも書いたが、繰り返すと第一に、西鶴・近松の町人を登場人物とした文芸(もちろん、人形浄瑠璃・文楽も含まれる。)第二に、木村蒹葭堂のサロン、第三には、大坂町人のバックアップものとに創設した懐徳堂の教育活動だろう。懐徳堂の経緯については、後日触れることもあろうが、その「門弟」の中で、山片蟠桃や富永仲基の逸材は忘れてはならないだろう。富永仲基のことは、加藤周一「三題噺」でわずかに触れたので、しばらく置く。もう一方の雄、山片蟠桃(
Wikipediaが、興味深いことに、混沌社、とりわけ葛子琴や頼春水を通じて、木村蒹葭堂へと繋がってることである。大坂という限られた土地ではあるが、人と人とのネットワークの面白さがよく分かる。「夢の城へ―山片蟠桃の世界」(人物史というより歴史小説風で面白く読ませてくれる。)によると、山片蟠桃は、46歳の若さで亡くなった葛子琴を偲ぶ会合に出席し、冒頭の詩を詠んだ。語釈は、上記のサイト「解任」の項に書かれているが、蕭索は、ものさびしい様、「黄埃、散漫として、風、蕭索たり。」(白居易・長恨歌)歇は一休みする。九原は、墓地、中国・春秋時代の晋の大臣の墓地の地名に因む。隈は、水辺が入り込んで奥まった所。上記のサイトには、「けっしてうまいとは言えないが、葛子琴を悼む詩には蟠桃の真情があふれている。」とあるが、素直な良詩だと思う。右上写真は、現在の玉江橋から南東方向を見た所、やはり、天王寺の寺社群は見えない。

日本人と漢詩(20)—葛子琴(続々)

玉江橋(浪速風流繁盛記)

玉江橋成 玉江橋成る
玉江晴度一条虹 玉江ぎょつこうれてわたる 一条の虹
形勢依然繩墨功 形勢けいせい依然いぜんたり 縄墨じょうぼくこう
朱邸綠松當檻映 朱邸しゅてい綠松りょくしょう かんあたりてえい
紅衣画舫竝橈通 紅衣こうい画舫がほう かじを並びて通ず
蹇驢雪裡詩寧拙 蹇驢けんろ雪裡せつり なんせつならん
駟馬人間計未工 駟馬しば人間じんかん けいいまたくみならず
南望荒陵日將暮 南のかた荒陵こうりょうのぞめば まされんとし
浮圖湧出斷雲中 浮図ふとづる 断雲だんうんうち
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日本人と漢詩(18)—木村蒹葭堂と葛子琴

贈世粛木詞伯 葛子琴 五言排律
酤酒市中隠 酒をる 市中のいん
傳芳天下聞 ほまれを伝へて 天下にきこ
泰平須賣剣 泰平たいへい すべからく剣を売るべく
志氣欲凌雲 志気しき 雲をそそがんと欲す
名豈楊生達 名はに 楊生ようせいすすむるならんや
財非卓氏分 財は卓氏のくるにあら
世粉稱病客 世粉せふん 病客びょうきゃくしょう
家事託文君 家事かじ 文君ぶんくんたく
四壁自圖画 四壁しへき おのづから図画とが
五車富典墳 五車ごしゃ 典墳てんふん
染毫銕橋柱 ふでむ 銕橋いきょうの柱
滌器白州濆 うつわあらふ 白州のほとり
堂掲蒹葭字 堂にかかぐ 蒹葭けんか
侶追鷗鷺群 ともふ 鷗鷺おうろむれ
洞庭春不盡 洞庭どうてい 春はきず
數使我曹醺 しばしば 我がそうをしてよわしめたり

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