一本の聴診器から聞こえること…

聴診器「古い手帳から」拾ってきたネタだが、ギャグという性質ではないので、そのまま載せておく。実は、「多田富雄:独酌余滴」はこの文章を思い出して書いたものだ。映画の題名が、二つの文章で違っているが、ちょっと真否を確かめようがない。

まだ聴診器を持ったことのない学生時代に観て印象に残っている映画がある。黒沢明監督の「生きる」(だったか?)で、志村喬演ずる町医者が、若いチンピラ(三船敏郎だったと思う)の胸に聴診器をあてて、「おまえの肺には、親指くらいの結核の空洞がある」と診断を言う場面があり、その医者になんともいえない魅力を感じたものだ。
 それから、数年後に、聴診器を使うことを学び始めた。初めて開く教科書には、聴診器で診断できる病気がたくさん並んでいた。
 聴診器を耳にかけただけで、なんだか自分がすごく偉くなった気がするから幼稚なものである。
「心音は、二つあり、心臓の弁が閉じたり開いたり、心臓の筋肉が縮んだ時に、発生します。心音以外に聞こえる音として心雑音があり、心臓弁膜症や心臓奇形の診断に重要です」
 ふんふんなるほど……
「肺の音は、右と左で聞き比べてください。片方で呼吸の昔が聞きにくかったら、そこに病気があります。たとえば、膿が胸腔に溜まる『膿胸』とか、空気が人り肺を圧迫する『気胸』とか……」
「肺結核の特徴ある音は、ラッセル音です。空洞を作るのは、肺の上の方が多いので、丹念に聴診してください」
 そうか、映画の志村喬医師は、この事をやっているのだな。
 こうして、医者としての『徒弟時代』が始まったが、いまだに、志村喬なみにかっこよく振る舞える能力と自信がない。
 いまどき、聴診器だけで診療する医者なんかどこにもいないというのは、半ば弁解であるが、この四半世紀の間に、ずいぶん医学・医療も変わった。レントゲンはいうにおよばず、CT(コンピュータ断層撮影)やMRI(磁気共鳴装置)で手に取るように病気の状態が分かるようになってきた。自らの経験としても、聴診しても異常のない肺結核や肺炎などざらにある事も知った。適切な時期に適切な検査を患者さんに勧める技量も少しはついてきたと思っている。
 だが、あの映画の町医者に対する『憧れ』だけはすっと変わらない。きっとその医者は、一本の聴診器で、ラッセル音だけではなく、患者の生活からくる悲しみや喜びも聴こえたに違いない。まさか映画を観たときは自分が診療所医師になると思わなかったが、こうした聴診器の使い方ができるかは、今後の私の課題としたい。
 先日の診療で、ある患者さんから、「先生、聴診器で何を聞いているの?」と質問を受けたことから、以上の小文をしたためた。

 


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