地元共産党市議事務所開きでの挨拶

4月に予定されている市議会議員選挙に八期目をめざして奮闘されている K 市議の事務所開きに挨拶をしました。依頼があったのが、二日前、あまり準備もできなかったので、現在、東日本大震災被災地に医療支援にでかけている、民医連の仲間たちの現地報告の一部を紹介し、それを中心に話しました。

今回の東日本大震災ですぐ思い浮かぶのは、戦前の物理学者・寺田寅彦が言ったとされる「天災は忘れた頃にやってくる」です。でも、16年前に阪神大震災を経て今回の震災を経験した私たちにとっては、この五七五の言葉は、「天災は忘れないでもやってくる 政治の力でなくせ人災!」と置きかえるべきでしょう。
今日のいまも困難を抱えている被災地の人々の医療支援に、民医連の仲間たちが数多く出かけています。本来なら、私もこの場所で演説しないで、現地に出かけたい気持ちは山々ですが、もうロートルの身、もっぱら後方支援で、駅頭での募金活動に参加したり、支援医師のメールでの連絡係りを勤めています。そこで、現地での医療支援に携わっている医師からの現地報告のメールを、二三紹介し、K 議員への激励に変えたいと思います。
はじめは、盛岡から海岸部の被災地へ出かけている O医師のメールです。
14時前から地図を頼りに地域ローラー開始。現場の惨状はすさまじく、テレビ、新聞で見るより大変な状況。陽射しは暖かいが浜風がすさまじく砂埃を上げている。道路はやっと車が通れる状態だが見渡す限り瓦礫の山。毎日この風景を見ながら避難生活を続ける人のことを思うと胸が痛くなる。
ローラーで訪問したお宅で、お母さんを亡くされて東京から帰省中の Kさんと遭遇。地元出身の方で、おじさん宅に身を寄せながら地域の方々のお役にも立ちたいという。私が医療支援で巡回している旨を話すと、公的な比較的大規模な避難所は医療班が回っているようだとの事。赤崎地域にある彼の古い自宅が残ったので、その周辺の民家に90人近い人が避難しているが、やっと3食の食料が届き始めたばかりで電気も開通せず、医療の手は全く入っていないとの事で、案内してもらいそちらに向かう。体調不良の方などお話を伺いながら血圧測定、処方など行う。「陸の孤島」状態でこの間、医療者の訪問なく、不安が募っていた様子。「薬もなくなったがガソリン不足で主治医のもとに行けない」「漁業センターでやっと3日分の薬だけもらった」「不安で夜も眠れない」「血圧が心配」「小さい子どもがいるのでこれから千葉の親戚に身を寄せる」など様々。子ども数人も風邪気味とのことで診察する。「小児科の先生に診察してもらって安心した」など感謝される。子ども達は病状も軽く、座薬、風邪薬など処方。お年寄りの不安、体調不良が目立つ。妊婦さんもいて今後の不安大。被災後1週間経ち、風邪気味、不眠、後片付けなどで腰痛の訴えが多い。軒並み血圧が高い。A地区は電気が通じていないので、外が暗くなるまで、懐中電灯を頼りに医療相談に応じる。
次は、大阪から小児医療の支援に応じた N医師のメールです。
今日一日でも、知的障害の子が明け方にさ迷い歩いていた子を保護して対応しました。
名前が言えない、どこから来たのかわからない、そもそも両親がいるのかわからないって子でした。S病院のソーシャルワーカーと一緒に対応し、警察に問い合わせても捜索願いが出ていない、安否不明は市内に何百人もいる、各避難所に顔写真を送ろうにも通信手段がないなどなど。
とりあえず今日は市役所で一時保護して、明日精神科病院に入院保護となりました。災害弱者は本当に弱者なんだと感じました。
PTSDが疑われる子の往診にも行きました。S病院から1kmぐらいの小学校なのですが、屋上から自宅が津波に飲み込まれるのを見て、ガスタンクが燃えながら津波に乗って学校に迫ってくる体験をした子がいました。夜になると急に泣き出したりしているようです。
最後に、埼玉スーパーアリーナでの診療の様子を、H医師が報告されています。
さいたまスーパーアリーナには福島から多くの避難者が来ていますが、近隣の医師が自発的に集まって、回診したりしているようです。…日中は支援の医師も多く潤っているそうですが、問題は夜間だそうで、分担で泊まり込むかという話もでています。また、避難者の中には開業医の先生が一人いるようで、その方が避難所の患者さんをまわっているそうです。現在は支援する医師が相当数いますが、3月いっぱいでスーパーアリーナから加須の廃校に移動することになります。移動先はアクセスが悪く、支援医師が減り被災者の先生の負担が増えるのでは、と現場を見てきた医師が話していました。
また、福島および茨城から避難してきた小児の入院がここのところ数名います。避難所はかなり劣悪な環境だったとお母様がお話ししており、ご両親ともに疲れ切っていました。ある家族は埼玉の避難所にくるまで数日ごとに避難所が移動し、7か所目だと話していました。現地の避難所では食事もおにぎり1個にビニール袋に入った水だったそうです。話を聞くと想像以上の生活です。
地震当日から幾許の日が経った時、当地ではいつもと変わらぬ電車に乗り通勤し、同じ食事も食べ、同じ家で寝るといった周りの環境と被災地のテレビ報道との余りにも大きな落差に、まるで日本が東西に引き裂かれているような感じがしていました。最近になり、こうした「分裂感」は「国難」の状況だからこそ、日本人として、というより広く人間としての真価が行動・言動面で問われている事の反映なのではと思い始めています。募金活動に応じていただいた沢山の方々、現地支援に赴いた医療従事者、懸命な救助活動に従事しておられる人々、反原発の立場をとり、今まで「出世・栄達」と無縁だった原子力研究者・技術者と色々な「便宜」を拒否してまで原発反対を体を張ってまで貫いてきた農民・漁民などのみなさん、そして自らの家族の消息も分からぬまま町の復旧の先頭に立っておられる首長、住民に寄り添う形で活動しておられる K市議も所属する日本共産党の議員や党員、さらに言うなら、原発政策をはじめとする国の政治のありかたに疑問を感じ始めている大多数の国民を一方の極におくなら、片一方では、浅薄な「天罰」発言で底の知れた石原東京都知事、自ら振りまいた「安全神話」の呪縛から逃れられずに「ただちに健康には影響ない」との無責任発言を繰り返す政府首脳陣、東京電力幹部、原子力「安全保安」院の人々、テレビでの「原子力専門家・学者」らの存在が浮かび上がってきました。量でいえば、大多数対極少数という構図です。また少し冷静に考えるとどちらの極に真理や正義はあるかは一目瞭然です。
被爆国の日本が、東海村臨界事故にひき続いて、自ら開発した「技術」で国民にまた健康被害を強いることは、広島・長崎・ビキニでの尊い犠牲者に、なんと言って顔向けができるか?と、九条の会代表で文学者の大江健三郎氏が述べていました。私も、科学者の端くれとして、自らコントロール出来ない「科学技術」を用いることは、悪魔の仕業にも等しいと改めて身を引き締めています。そうした思いを込めて、子どもや孫たちに、将来の日本を引き継いでゆくためにも、今回の地方選挙では、その希望を日本共産党に託します。どうか福島原発事故が速く終結し、共産党には、今までの原発反対・推進の意見に関わらず、多くの心ある国民と対話してゆくことを期待します。そして、原子力に依存しない、また震災にも強い安心安全の国づくりの政策をより深く、より広く国民に届けていただくようお願いして、私の応援の発言を終わります。

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